江戸のデリバリー⑭ 餅搗屋


《餅つきの図》 前北斎為一 

餅の絡んだ杵を
力の限りに振り上げ、
極まった瞬間…
前北斎為一とは葛飾北斎
60代〜70代半ばの画号。

《職人尽絵詞》より餅搗き屋

こちらと比べれば躍動感の
違いがよくわかりますね。

守貞謾稿』より江戸の搗屋

話が少しそれますが…
お餅を「かちん」
呼ぶことがありますね。
搗飯(かちめし)」が
訛った言い方だそうです。
臼で餅を搗くときに、
杵と杵がぶつかり
「かちん」と音が鳴る。 

『守貞謾稿』より大阪の搗屋

合理的というか…
キセルをふかしながら。
これを家門におろして、
まさに捗りますなぁ〜。


『東都歳時記』歳暮交加図より

誰もかもが忙しいと相場が
決まっていた年の暮れ。
今よりずっと忙しい、
江戸市井のひとたち。
町内のイベントではなく、
この時代の当たり前の光景。

『東都歳時記』歳暮交加図

「餅つき屋」なる職人、
その頃は実は
舂米屋(つきまいや)」と
呼ばれていました。
お米屋さんのことでして、
年末の仕事として、
従業員が出張したそうです。
「書き入れ時」は、
いろんな参入があったと
思われます。

《鎌倉栄餅舂》
 二代目広重
 1837年

登場人物は鎌倉時代の面々、
でも明らかに
「織田がつき 羽柴がこねし
 天下餅 座りしままに
 喰らう徳川」
の歌が元。
新政府の樹立もそんな風に
みられていたの暗示の画。

《十二月之内 師走餅つき》
 歌川豊国

江戸期は餅をつくのは
12月15日から年末に、
29日は「苦」に通じ
苦をつく“苦餅”」と
忌み嫌われたとか。
大晦日に搗く餅も
一夜餅」…こだわる
からこその招福です。

《尻餅つく》歌川芳梅

「店中の 尻で大家は
 餅をつき」
江戸時代中期から幕末まで、
ほぼ毎年刊行されていた
川柳の句集の
『誹風柳多留』にある句。

《甲子春黄金若餅》

(きのえねはる こがねの わかもち)
 三世 歌川豊国 1863年

大家は店子に餅を振る舞う
長屋の住民にとっても、
餅は正月の必需品。
ではこの餅搗きにかかる
お代をどう工面したのか。

『青楼絵抄年中行事』より
   餅つきの図

長屋の共同トイレのおかげで、
餅を食べることができた??
江戸近郊の農家の下肥に…
肥料として農家が大家
払っていたのです。
もち米だったかも知れません。
「しりもちがつけた」ところで、
オチをツかせます😁


※このブログはクリナップさんの江戸散策
「第8回 年の瀬の江戸の町、
 餅つきが商売になった。」を参考にしました。

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