『百日紅』浮世絵伝〜初五郎こと魚屋北渓

『百日紅』にはいろんな
浮世絵師が登場していました。
もとは杉浦日向子さんが
24歳のときに手がけられた作品で、
確かな時代考証によるものなのです。
シリーズで応為の人脈をたどります。
岩窪初五郎
北斎の門人で、
もとは魚屋であったことから、
画号は魚屋北渓(ととや ほっけい)
魚商から浮世絵師に転身したとか。
一説には松平志摩守出入の
魚屋であったとも伝わります。
34歳にして独り身。
劇中では応為である「お栄」が
想いを寄せる相手として登場しています。

鬼若丸の鯉退治》(1830-35 天保年間)

彼の錦絵の作品はそれほど多くなのですが、
ボストン美術館のコレクションでして、
なかなかの圧倒感をみせています。
荒れ狂う気性と対峙する鬼若丸の姿。
鯉をさばくことも業としていたから、
魚の表情がなかなかヨスです。

鬼若丸とは武蔵坊弁慶のこと。
比叡山横川の池で身の丈八尺もある
巨大な鯉が暴れ、女子供を食い殺し、
人々を苦しめていた。
それを聞いた鬼若丸が短刀ひとつ携えで、
池に飛び込み見事に鯉退治という伝説。
山車などの彫り物にもみられるお題。
江島記行 神奈川
 (神奈川県立博物館)



江の島土産などを描いた作品。
蛸、河豚、平目、赤い魚はホウボウ
盆に隠れそうな沢蟹もいます。
魚がのる盆には朱で「はねさわ」、
神奈川宿の青木町にあった旅籠の名です。
北溪の師譲りの観察眼が発揮された逸品。

画号は葵岡、拱斎、葵園、
呉北渓などを使い分けたようです。
寛政12年頃から嘉永元年のころ、
1800から1848年にかけて
彼の画歴が認められています。

 《諸国名所 駿州 大宮口登山
      (1834-1835)

魚物でないものを…
目玉おやじがウジョウジョと。。。
諸国名所ではこんな風景も描いています。
駿河湾から甲州へ入る道のひとつ、
吉原湊から大宮へその後本栖湖から
甲府に入る「駿州中道往還」といわれる
街道沿いに「大宮口」があります。
駿河湾のご来光を拝んでいる
シーンなのかも知れませぬ。
諸国名所 長門 布苅神事》(1834-1835)

最後に波の合間を走るふしぎな絵を…
福岡県北九州市門司区にある
和布刈神社神事で旧暦元旦の早朝、
干潮の海でわかめを刈り取って、
神前に供える神事を描いたものです。
波状をみるにつけ謎の多い北斎の画譜、
その後に引き継がれたことを感じます。 

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