ヒロシマ爆心地から1800m〜碇神社

広島城下最古の社とされる「碇神社」。
「此の地其の海辺なりし頃、
 社辺に大岩盤在り、
 太古よりしばしば船が難破せし為、
 地と海の神を鎮斎し奉る事に始まる」
とある創建の由緒。
京橋川の土手沿いにあった社は
八剣神社」。
広島城主 福島正則の治世を伝える場所。
当時はひどく洪水に悩まされていたそうで、
たびたび人柱をたてていたそうです。
正則はそれを不憫とおもって、
秘蔵の名剣八本を箱に納め、
地中深く埋めたことで堰き止められたとか
1617年(元和3)のことだと伝わります。
毛利輝元の治世には造営されますが、
福島正則の時には、
社領が没収され荒廃したとか。
八剣神社とは逆の運命をたどりました。
ただ、江戸中期の頃には地元白島の住民が、
海の神さま「大綿津見神(おおわだつのかみ)」を
氏神としてその維持に努められたそうです。
海浴思澤 万民楽豊穣」の文字。
広島築城前のまだこの地が海原であった頃、
ここへ他国船が来て碇をおろしたことから、
碇神社と言われるようになったそうです。
広島は太田川河口を埋め立ててできた、
いわゆるデルタ地帯に成立した都市。
白島がなまって…
”ひろしま”になったという説。 
実は俗説なのだそうです。

阿川弘之の『亡き母や』によれば…
白島のもとの地名は箱島
 太田川の三角洲の北辺に位置し、
 閉鎖的な芸州広島藩城下町の中でも
 特に因循閉鎖的な、
 それこそ箱で囲つたやうな
 狭い古くさい地域であつた…」という。
白島の地は爆心地に比べれば、
残留放射能は多くなかったようですが、
原爆投下直後に降った「黒い雨」。
白島には多く降り注いだそうです。

ヒロシマ1945.8.6
その瞬間だけでは済ませるものでは、
決してなかったものだと改めて感じました。

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