ヒロシマ爆心地から2300m〜広島東照宮②


広島東照宮のつづきです。
一間社流造 唐破風付 銅板葺の本殿。
当時桧皮葺であった華麗な社殿は焼失し、
灰塵に帰しましたそうですが…
なんとご神体は焼失を免れ無事だったとか、
まさに大権現の霊験あらたか。
1984年に再建されたものです。


創建当時からある手水舎
(てみずしゃ)
桃山時代の建築様式をよく伝えていて、
御宝前、東照宮、慶安元年卯月十七日
という文字が刻まれています。
卯月に建てられたので蛙股には、
月と兎」の装飾彫刻があでやかです。
こちらは1979年に
解体修理漆塗装されました。
本地堂(ほんじどう)」。
徳川家康の本地仏である薬師如来
当初祀られていましたが、
明治以降は神輿舎に転用されたもの。
四方の中備(なかぞえ)に極彩色の蛙股。
こちらは賢者と牛??
なにかの中国の故事に
由来するものかもしれません。
白馬

松の枝ぶり。
そして葵の御紋が見て取れます。

神域でもある
二葉山は権現山とも呼ばれていて、
頂には「二葉山 平和塔」があります。
訪れなかったのですが…
原爆の犠牲者の冥福を祈るため、
1966年に建立されたものだそうです。

広島東照宮の境内社とされている
金光稲荷神社」。
二葉山は、日本最大規模の
シリブカガシの群生林です。
どんぐりの木の一種で、
暖かい地に育つので
群生林であることは貴重。

シリブカガシの木炭は
珍重されたこともあって、
殿様がシリブカガシを保護、
そのことで群生林が形成されたとか。
山頂の奥宮まではおよそ500段あって、
朱塗の鳥居120数基続きます。
京都の伏見稲荷大社を思わせる風景…
広島一円から多数の参詣者があるそうです。 
「コハ今後生キノビテコノ有様ヲ 
 ツタヘヨト天ノ命ナランカ 原 民喜」
2010年8月6日に建立の「原爆65周年追憶碑」。
原爆文学家である 原民喜さんは、
原爆投下された日の翌日を
ここ広島東照宮で過ごしたそうです。

『原爆被災時のノート』にはこうあります。
 (前略)
 東照宮ノ欄間ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ
 燈籠ノ石モ倒レルアリ 
 隣ノ男 食ヤ水ヲ求ム 
 夕グレトナレバ侘シ 
 女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム 
 夜ハ寒々トシテ臥セル地面ハ固シ 
 翌朝目ザメテ肩凝ル
 (中略)
 石段下ノ涼シキトコロニ 一人イコフ
 我ハ奇蹟的ニ無傷ナリシモ 
 コハ今後生キノビテコノ有様
 ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ
 (後略)


原さんはこの位置からどんな
ヒロシマを見つめたのだろうか。
同じ場所に立って想像とは、
大きくかけはなれているであろう
“リアル”なヒトのイノチが
往き交っていたのだと思います。

『五年後』 原 民喜
竜ノ彫刻モ
高イ石段カラ割レテ
墜チ
石段ワキノ チョロチョロ水ヲ
ニンゲンハ来テハノム
炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ
黒クナッタママシンデイル
死骸ニトリマカレ
シンデユク ハヤサ
鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ
ナキワメク真紅ナ女

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