マッサンの山崎をたずねて〜大山崎山荘①

「マッサン」のイマでしょの舞台 
山崎に行って来ました。
でも鴨居さん いや鳥居さんでなく
アサヒビールさんのところに。
ず〜〜〜〜と気になってた洋館
大山崎山荘」を紅葉の佳き日に。 

大山崎山荘のはじまりは1911年6月。
大阪の実業家であった加賀正太郎
この地域の土地を購入したことにルーツ。
別荘を建てようと、
ウィンザー城からの眺めに似たといわれる
情景をこの地に求めて、
自らが道路、建物、庭園、植樹を設計したもの。

木造の洋館が完成したのは1917年.
その後増築が重ねられ1932年には
現在の美術館本館である
霽景楼
(せいけいろう)」が完成して、
今の山荘の姿がほぼできあがったそうです。
琅玕洞(ろうかんどう)」という
トンネルを潜って。
建物よりもまず紅葉の絢爛豪華なこと。

ちなみに「琅玕」というのは竹の美称とか...
緑色の貴石のこともいうらしい。
アンデルセンの自伝的小説『即興詩人』にも
登場する洞窟は、
イタリアのナポリの沖合いにカプリ島があるとか、
グロッタアッツェーラと呼ばれる洞窟、
森鴎外はそれを「琅玕洞」と訳したそうです。
ホントはもっとキレイだったんですがね…
 木々にかこまれる山荘。
1990年代に入って所有していた不動産会社が
山荘を取り壊してマンション建設を計画。
「山崎の風景」になっていた山荘は、
付近の住人の猛反対が起こったのは当然至極。
協力を名乗りでたのが
アサヒビール株式会社だったとか。
ニッカウヰスキーの前身である
あの竹鶴政孝さんがが北海道・余市で
1934年に設立した「大日本果汁株式会社」に、
初代社長の山本為三郎と加賀正太郎が、
参加した縁も手伝って名建築が
今に伝えられています。
大山崎山荘も第二弾を!!
「マッサンの山崎をたずねて」
続きます(・ω・)v


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