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ちょっと良心的なタイガース??

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「ぴあ」「ローチケ」「イープラス」   とかから来たメール。 「遂に始まる!  待ちに待ったオープン戦!   これは生で見るしかない !!」と来た。 あの赤星の引退試合って、、 どうするかなと虎次郎にも スイッチを入れてきた。 12月中旬頃には3月14日の 讀賣戦で引退試合って報道もあったし・・・ そのゲームはオープン戦といえども、 チケット争奪戦になるのかな?と思っていたら。 今日の夕方になって 「阪神、赤星氏の引退試合なし」って         各紙が報道しだした。 「オープン戦とはいえ  開幕直前の大事な調整の場です。  ものすごく悩みましたが球団とも  話し合った結果、このような結論を  出さなければなりませんでした」 との 談話が 沼沢球団本部長 が会見で語ったという。   サンスポより 売ってから大ブーイングってのは、 さすがに阪神も避けた格好だ。 思い起こせば1992年にヤクルトと 優勝を争ってたシーズン終盤に、 追加日程のチケットが売り出されたことがあった。 試合結果によってはラストゲームの 当日券は見向きもしなくなる可能性があった。 なんと試合直前になって翌日のチケットの    販売を繰り上げたのである。 そんな事情を予感していた虎次郎と サークルの会長は、 スタンド入りを見合わせなんとか、 歯抜けな列を飛び越してチケットをゲットした。 再入場ができない甲子園、 いったん入場したファンとの 小競り合いがそこかしこに見られた。 ヤクルトの胴上げを目の前で見せられた。 ということよりも阪神の商魂バリバリが、 ちょっとムードを盛り下げた感じだった。 「今年の阪神はやらかす!!」     のブログの主は 「試合終了後に赤星が登場するという  パターンを期待しているwww」 と・・・・ そうだよな あんまり大げさに したくないんだろうし。 ありえるかな??? いずれにせよ。 セレモニーなしとの 発表はないんだし。 赤星選手 このままユニ姿を 見せないままか? 追記:オフィシャルに。。。  2010年01月22日赤星選手の引退試合は行いません   赤星選手の引退試合について、   実施予定はありませんので、お知らせいたします。

タイムスリップ大阪万博 その10 自動車館

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EXPO CAFEの 1/500スケールの最後は、 社団法人日本自動車工業会 の パビリオン「 自動車館 」です。 EXPO CAFEの 佐津川 匡宏 さんの 1/500スケール。 来館者が実際に 参加しながら楽しめた 当時では画期的なタイプの展示、 「 交通ゲーム 」のフィールドが 屋外にあったそうです。 「 交通ゲーム 」は 住友電気工業(株) さん が 開発したもので、 「 電子交通システム 」とも呼ばれ、 当時自家用車が増えつつあった 交通事情を解決するために コンピュターを導入した 新しい交通システムでした。 円形広場に作られた碁盤目状の 走路(ガイドレール) の上を カラフルなミニカーが 走り回るというもの。 走路は全て単線通行なの、 自動的にその方向への進入は システム制御でできないことに。 衝突・接触のないクルマ社会の 実現を可能にしたものでした。  住友電工のHPより この技術は今では 「 安全運転支援システム 」として さらなる研究が 進められているようです。 ドライバーから直接見えない、 または見落としのおそれのある 交通事象を 「 光ビーコン 」を 通じてカーナビなどに 車載機に送信することで 事故を少しでも回避する システムとして開発が 続いているそうです。 でも佐津川 匡宏さんの 模型ってとにかくすごい。 「交通ゲーム」の カラーリングパターン の 再現はまさにコダワリ。 赤・黄・青・紫4色で 描かれるている島は、 白いストライプの「太さ」が ホント全部違う。 ゲームのルールは簡単で、 約2分間の制限時間内に向かい側の 基地に入れば1点、 そして充電で一休みしたのち、 元の基地へ制限時間内に戻れば さらにゲームを継続でき、 連続して 3回の横断に成功 すると 記念品がもらえる というものだったそうです。 会期中に延べ25万人の人が 楽しんだそうです。 EXPO CAFEの 佐津川 匡宏 さんの 1/500スケール。 「 交通ゲーム 」側 天幕構造の パビリオンは 二つあって、 「 Aパビリオン 」は エンジンの形と動きを利用した 「エンジン楽器」の音響パビリオン。 エンジンのメカニズムを内的に 体験できたようです。 模型の左...

タイムスリップ大阪万博 その9 富士Gパビリオン

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佐津川 匡宏さんの 1/500 スケール。 「 富士グループ・パビリオン 」は、 空気膜構造のチューブ を連結して 作られた エアドーム建築 ですので、 このスケールでは 質感を出すために、 ビニールチューブで 原型が作られています。 気密加工したキャンパス地の チューブを空気で 膨らませたって感じを出すには、 かなり試行錯誤があったようです。 実物は 「直径4m長さ78mのエアビームが  16本アーチ状に立ち並び、  各エアビームは4m間隔で、  横ベルトによって相互に繋結」 「エアビームはビニロン・ キャンバス 2枚の張合わせで破断強度は抜群。 その上、多段式ターボブロアの常設で、 台風などの外力に対応して可変できる強度」   太陽工業(株)のHP より そうこのパビリオンも 太陽工業(株)の手によるもので、 「 アメリカ館 」と同じ「エアドーム」です。 EXPO CAFEのペーパークラフト 「 アメリカ館 」 実際はワイヤーで 斜め下に引っ張られていたので、 両端のアーチは 下に垂れさがっていたようです。 当時の写真もそんな感じに見えます。 ただ 佐津川 さんのモデリングは “凄い”の一言に尽きます。 「 質感を感じさせる模型 」 照明灯とか配管とか、 とにかく徹底しておられます。 タイムスリップグリコ版 横からみたとこ 「 富士グループ・パビリオン 」の お隣は実は「日立グループ館」で、 その間に「 動く歩道 」が 存在していたそうです。 パビリオンとパビリオンとは 連結できるようにとつくられた 佐津川 モデルには コダワリの質の違いを 感じさせるものがあります。 佐津川 匡宏さんの1/500スケール。 「 動く歩道 」もある。 手前にあるのは タイムスリップグリコ版 ただ廉価版の タイムスリップグリコ版は、 チューブでは作られてはいませんし、 細かいところはパテで 固められた成形になってます。 独立したフィギュアと なってしまっています。 タイムスリップグリコ版 1968年11月頃には すでに「 幌馬車 」のような、 奇妙なデザインはすでに建築家の 村田豊さんのところで 出来上がっていたようです。 デザイン策定の時点で 「太陽工業」も 工事グループの一員として そこに参画はされて...

タイムスリップ大阪万博 その8 ホステス 

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2010年3月で日本万国博覧会が 開催されて40周年を迎える。 その記念すべき3月13日に、 万博に残った唯一の パビリオン「 鉄鋼館 」が 「 EXPO'70パビリオン 」として リニューアル開館される予定だ。 この日は各パビリオンホステスの ユニフォームがよみがえる ファッションショーも開催されるという。 「鉄鋼館」が 森 英恵 さん。 「生活産業館」 コシノジュンコ さん。 「東芝IHI館」 大菅てる子 さん。 当時のホステスユニフォームの デザインはファッションデザイナーの 腕のみせどころでもあったのだ。 タイムスリップグリコ に採用されたのは、 大阪ガスのガス館ホステス。 「 ガスフェアレディー 」 と呼ばれていたのだそうだ。 実は大阪万博の頃は、 「 コンパニオン 」と 呼ばずに「 ホステス 」。 ガスパビリオンのホステスの コスチュームは ワンピースのミニサイズ。 シルバーグレーの中に、 パビリオンと同じように 口を開けて笑っている イメージを赤いラインで表現している。 夏バージョンはラインが青だったらしい。 EXPO CAFEにも ホステスのユニフォームがあった。 希望があれば 着せてもらえるのだそうだが。 鉄鋼館 の話に戻る。 鉄鋼館は博覧会終了後も 恒久保存することを 見込んで建てられたため、 耐震性などは現在の基準でも クリアする存在だという。 今回のリニューアルの目玉は、 なんといっても 閉幕時から保存されている 当時のままの “スペース・シアターホール” 。 レーザー光線を駆使した コンサートが開かれた スポットがガラス越しに 様子を眺めることができるらしい。 関西ウォーカー1月4日号にも、 「40年の時を経て  あの“大阪万博”が復活〜  「EXPO'70パビリオン」3月完成へ」 ってレポされていた。 “ スペース・シアターホール ”には、 「日本館」のプロデューサーである 河野 鷹思 さんの幅20mの 巨大タペストリー よろこびの塔、かなしみの塔 も 展示される予定だ。 このタペストリーは博覧会終了後 収蔵保管していましたが、 傷みが激しいため 一昨年に修復されたもの。 「 よろこびの塔 」は 原子力の平和利用と 人類の幸福への願い、 科学と人間とのより ...

タイムスリップ大阪万博 その7 日立グループ館

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ついにこのシリーズも第7回となりました。 今回は「この木なんの木」の「 日立館 」。 赤い円盤型というか巨大UFOのような フォルムは「日立グループ館」。 展望台へは 40mもあるエスカレータ で 直接つながっていたいたそうです。 日立チェーンスの店員さんでさえ、 「 掃除機 」?とか「 炊飯器 」??。 当時はいわゆる「白モノ家電」が 家庭に普及しつつあるころ。 カラーテレビでもカラー放送とときは、 「カラー」と出ていた時代です。 今画面の右上隅に出るのは「アナログ」。 今はなんか 時代から置いて行かれているみたい、 その頃とは真逆なメッセージです。 本題に入ります。 「 日立グループ館 」のテーマは 「 追求一未知への招待 」。 大出力大画面の レーザ光線カラーテレビジョンの 初公開実験の機会でもありました。 コンピュータを使って空中旅行を 味わわせてくれる模擬飛行装置 シミュレート・トラべル が出し物。 ところで「日立グループ館」って、 こないだ紹介した「みどり館」と 特殊な関係にあったようです。 大阪万博は「人類の進歩と調和」 だったにも かかわらず パビリオンはまさに百花繚乱。 まさに競い合いで 協調が全くみられません。 EXPO CAFEにある 佐津川 匡宏 さんの1/500スケール。 手前にあるのはタイムスリップグリコ版 ただこの二つのパビリオンは 敷地は 融通しあって、 境界線がなかっ たそうです。 あえてそうするレイアウトによって、 建築方法の特徴が  好対照が際立っています。 日立グループ館とみどり館 長谷川明さんの3D こちらの企画についても、 こんな好対照な話があります。 ディズニーにオリジナルプランの コンタクトをかけています。 「みどり館」は ディズニーを 袖に! というのは、 前回の 「タイムスリップ大阪万博  その6 みどり館」 で紹介しましたね。 時に大阪万博の4年前1966年。 当時の金額で3億円という企画料。 くわしくはわかりませんが、 日立製作所はこの時点で 国内コンペに切り替えたのだそうです。 総合プランナーの最終候補は、 手塚治虫 さん片方善治 さん、 そして高橋克雄 さんの3人。 結果は日立製作所とは 単なる一ユーザーの関係しかなかった 高橋克雄 さんの企画が当選されま...

タイムスリップ大阪万博 その6 みどり館

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「 みどり館 」のみどりとは、 三和グループ 32社の グループ会「 みどり会 」。 現在は 三菱東京UFJ銀行ってことになり、 三菱グループってことにもなるが、 当時の 三和銀行の取引先企業 によって 構成されたグループである。 その「みどり会」だが設立の機会は、 実は大阪万博そのものだったという。 「 みどり館 」の責任者であった、 三和銀行 副頭取・ 高山義雄 さんの アイデアによって 事業法人として設立された団体だ。 仮出展の時のメンバーには、 三和銀行のほか、 宇部興産、 日本レーヨン、帝人、 日立造船、丸善石油といった 企業が顔を連ねていたという。 その「みどり会」に 企画の売り込みをしたのは、 実は ディズニー社 だったとか。 「ニューヨーク世界博」 で 4つのアトラクションを 成功させていたし、 建物以外にわずか 当時のお金ではあるが、 2億円という破格値で 受注するという話。 シネラマの12倍もある ドーム・スクリーンを 実現させる技術を「みどり会」が 懐に忍ばせていたのである。 タイムスリップグリコ版 今年は3D元年といわれる 自宅でも3Dテレビというのが、 売り出されるようになったが、 当時 世界最初の全天全周シアター、 革命的な “ 参加する映画 ” 「 アストロラマ 」は、 まさしくその先駆けであった。 アトラクションの王道をいく ディズニーのプロデュースを あえた求めなかった心意気。 今の時代にない凛とした 日本人の姿を感じるエピソードだ。 ちなみに 「 アストロラマ 」というのは、 アストロ天体とドラマ劇 の 造語なんだそうだ。 この「みどり館」をふくめ、 「日立グループ館」 「富士グループ・パビリオン」など、 1/500スケールの模型 を 作っておられる方がおられのが、 佐津川 匡宏 (さつかわ まさひろ) さん。 実はこの方の模型が、 グリコの大阪万博フィギュアの 原型製作につながっているんだそうだ。 その1/500模型があるのが、 大阪の天満橋にある EXPO CAFE 。 これが最大のお目当てってこと。 「自動車館」 「富士グループパビリオン」、 そして隣接する 「日立グループ館」ともに つくられた「みどり館」。 実に精巧なつくりだ。。 設計図面を入手し...

タイムスリップ大阪万博 その5 EXPOカフェ探検!

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大阪の天満橋というビジネス街のなかにある、 日本一の EXPO マニア の 白井達郎 さんが やられている 「 EXPO カフェ」 に行ってきました。 大阪の天満橋のビジネス街なかにあるカフェ。 ロケットの看板といいロゴといい。 とってもオシャレなフォルムをしています。 オレンジを基調とした外観で、窓もおしゃれです。 宇宙船をイメージした近未来風ということ。 もともとはサラリーマンをやられていたので、 万博コレクターとして有名になられていくうちに、 本業が大変になって来られたそうです。 展覧会やイベントの企画協力など 「万博プロデュース業」に熱が入って、 この EXPO カフェ のスタートすることに        至られたそうです。 開店は2008年4月で、 脱サラ後はカフェの専門学校へも 通っておられたのだそうです。 タイムスリップグリコ大阪万博    「お祭り広場」 こちらがお目当ての 『 EXPO 天国』 (700円)。 『太陽の塔』 はビスケットで作られています。 まさに 「お祭り広場」 が再現されているようでした。 リンゴが 「ソ連館」 、 オレンジが 「電気通信館」、 キウイは 「日本庭園」 、 サッポロポテトのバーベキュー味は エアードームの網目にみたてた 「アメリカ館」 、 「ブリティッシュコロンビア館」 の もみの木は森永の小枝でしょうか?。 ヨーグルトは 「万博マーク」     がかたどられています。 実はこのパフェは、 万博会場のレストランで出されてた レシピの再現でもあるそうです。 ←←クリックすると くわしい説明が見れるよ ウエイトレスさんの制服は、 『オランダ館』 の コスチュームのリメイクもの。 ただこのコスチュームを着ている 「ホステス」さんは いてはりませんでした。 ちょっと残念。。。。 うーんとても1回では 紹介しきれません。 今日はこの辺で〜〜〜〜。 EXPO CAFE 〒540-0034 大阪市中央区島町2丁目2−10  TEL 06-7504-7365  地下鉄・京阪電車「天満橋駅」より徒歩3分  OPEN 11:00〜22:00(L.0. 21:30)  定休日・日曜(祝日・不定休)

タイムスリップ大阪万博 その4 タイム・カプセル

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映画『 20世紀少年 』にも 出てくるカンカンの タイム・カプセル 。 ボクらの時代でも 流行っていました。 というか… 虎次郎が通っていたときに 100周年を迎えた小学校には、 男の子と女の子が 地球を支える銅像が建てられ、 「 将来のわたしたち 」?? っていうような題の作文なんかを いれたことがありました。 (像の写真は母校のHPより) そのキッカケとなったのが 松下館のタイム・カプセル 。 そのうちの2基は、 万博開催当時の生活・ 文化を 代表する約2千点とともに、 大阪城公園の 天守閣の 前 に埋められている。 でもなぜ大阪城公園なのか? ちょっと不思議だけど… わからなかった。 タイム・カプセルの容器は、 大阪万博開催時に 5基 作られたらしく、 残りの3基が大阪市中央区にある 大阪歴史博物館に2基、 そして松下の発祥地にある 松下幸之助 歴史館 に置かれている。 タイム・カプセル  第1回目の開封は、 2000年3 月15日 に行なわれた。 タイムスリップグリコには、 なにも入っていません。 地下10メートルの 2号機の下には1号機が眠る。 1号機のの開封は、 万博から5千年 と されているので 6970年 。 おもえばこんな先のことって、 映画でも描かれたことが ないかもしれない。 それでも 2号機は100年ごとに 点検が続けられるが、 次は2100年だから 埋設されているタイム・カプセル。 一生に二度見たのは、 大阪万博に訪れた者に 限られるってことになる。 タイム・カプセルEXPO'70 というサイトには、 「 開封の仕方 」というのがあった。 そして「 再埋設に際しての注意 」。 最後ににこんなコトバがある 「最後に、ここに記した文章は、  長い年月の間には、  あるいは古語に類することばと      なっているかもしれない。  われわれはこの文章が  後世の人びとのために、  その時々のことばに訳されて、  その趣旨が十分に  伝えられていくことを希望する。」 おそらく1970年にくらべて、 現時点のモノの伝え方って 格段に便利になっている。 このブログってものの存在は 1970年に想像した人は ほんの一握りだったであろう。...

タイムスリップ大阪万博 その3 月の石

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タイムスリップ大阪万博 第3回はアメリカ館の「 月の石 」。 「 アメリカ館は、  建築でなく機械である 」 これは展示設計責任者 ディビッド・サットン さん の言葉です。  太陽工業(株)のHPより 地面から約6m掘り下げ、 外周を約7mの アスファルト・ブロックで 土手が造られ、 その上を楕円形の膜で覆う構造。 空気圧を加えることで 浮き上がらされている そう 東京ドーム と同じ構造です。 ガラス繊維に 塩化ビニールコーティング、 「 エアードーム 」という 技術が使われています。 大阪万博の時期は 春から夏だったので 問題ないですが、 ある程度の積雪に耐えられる 構造だったといいます。 「月の石」には長蛇の列… 記憶のない虎次郎ですが、 おそらく虎次郎一家は 見なかったんだろうと思います。 建物内に必要とされる 空気の換気量は、  収容人員毎時 10,000人につき、 毎分 約40,000立方フィート ?? ちょっと想像ができない数字です。 大阪万博の「月の石」は アポロ12号 が持ち帰ったもの。 アポロ11号 は月面には 本当に降り立たったかについて、 時を経て いろんな説が飛んでいるが、 それはさておき。 アポロ11号の3名の 宇宙飛行士といえば、 アームストロング、 オルドリン 、コリンズ 。 マイケル・コリンズ (Michael Collins )は、 いずれにしても 月面着陸をなしえていない。 二人が月面に着陸している間、 月周回軌道上で月面の 写真撮影などを行っていたのだ。 「 そこまで行って  見ないの?いいの? 」 月面で発見された新鉱物には、 彼ら3人からネーミングされている。 その名も「 アーマルコライト 」  (armalcolite) 。 鉄とチタンに富む鉱物だが、 実はその後の調査で 地球でも存在する物質だったとか 。