八坂の 霊山観音のこと


高台寺さんからみえた霊山観音さん。
八坂周辺ではみえるお姿だけど、境内には
立ち入ったことがありませんでしたので、
参拝してきました。

壁にはRYOZEN KANNONとあり…
一般戦災死没者の追悼施設 でもあります。
創建は1955年(昭和30)のことで、
開基は石川博資氏、 宗旨は単立で
霊山観音教会となっています。

パンフレットにはこんな辞
「四季変わりなく緑の滴たる
 洛東霊山の麓に平和日本の建設と
 殉国の英霊並びに大戦による犠牲者の
 冥福を祈念するために故 石川博資 氏
 よって建立されました。
 慈顔溢るる麗しいこの観音像は
 彫刻界の元老、故 山崎朝雲 先生によって
 原型が作成され、更に関係者の献身的な
 努力によって昭和の代表的芸術として
 後世に偉跡を残す荘厳な尊像が
 出現したのであります。」

大徳寺にある牧谿の絵画 白衣観音
イメージして原型が原型が作成され、
大成建設による施工で完成。

《観音猿鶴図》牧谿 
大徳寺 中国・南宋時代 13世紀 国宝

《観音猿鶴図》は3幅対の水墨画で、
中央には岩に坐す白衣観音
右に松の樹上で子を抱く母猿、
左に竹林と鳴く鶴が描かれています。
牧谿の中国での評価は高くありませんが、
日本には禅僧らがもたらされて、
茶の湯や唐物の流行で珍重されました。

お顔立ちは柔和で
慈顔あふるる麗しい観音様。

鉄骨にショットコンクリート打工法
作られた観音様は500トンです…

敷地の脇にはかつての古い帝産観光バス

レトロな乗用車が展示されています。

帝産グループは1934年に帝国産金興業
1946年に東京銀座で
帝産オート株式会社が設立されたのが
ルーツでGHQより進駐軍サービスバス、
セダン運営を命ぜられてスタート。
石川博資氏は秋田県出身の実業家で、
中部相互銀行の会長などを歴任した人。
「観光バス」はかつて"遊覧"と
よばれていたそうですが、
斬新な呼称を発案したことでも
知られています。

白亜の観音様ゆえかタージマハール感も…

昭和30年の建立ですが、
その後のバブル期まで各地に
このような巨大観音や巨大大仏が
点在していますが、
宗教法人として管理されていても、
廃墟化しているものが目立ってきました。

こちら全国の主な巨大仏リスト
所有者不在で長年放置されてきた
淡路島の大観音は崩落の恐れから、
多額の税金を投入して撤去されることに。

地元出身の不動産業者の男性が
1982年に建てた"世界平和大観音像"。
像内部のエレベーターで展望台のある
首のあたりまで昇ることができたそうで、
「世界の平和と大阪湾を航海する船の
 無事を祈願して造った」
という。
高さは約100メートル、
解体費と見込まれる8億円の税金投入

観音を含む大仏は全国に500体、
うち40mを超える巨大仏は15体含。
巨大仏は鉄筋コンクリート造の
高層ビルのような構造で、
定期的な点検・補修が必須…
1982年に建立の加賀大観音は73m、
レジャー施設と共に造立されたが、
施設は閉鎖され所有者は転々と。

その一方で、
クラウドファンディングで支援金が集め、
環境配慮の光触媒塗でお色直しした…
そんな新たな取組で蘇った例もあります。
成田山久留米分院の"救世慈母大観音"、
いずれにしても宗教法人として
継続されているというのがカギなのでしょう。

裏に回ると胎内巡りがあって、
十二支の守り本尊が安置されていました。



背中から八坂の塔京都タワー

こちら仏足石
観音像の背後には第二次世界大戦で殉じた
世界無名戦士の御霊を供養している
"メモリアルホール"などもあり、
境内はキレイにされている印象でした。

釈迦涅槃之像

ふぐ塚とか…



花塚とか…京都らしい。

桜が咲くときも美しいとか…



こちら高台寺境内からの後ろ姿

間近でご尊顔を拝し、
少し親近感がわきましたが、
これからも夜にみるとコワいのは、
そのままかも知れません(T_T)

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