村井吉兵衛さんちの長楽館を知る②
村井吉兵衛という人のことを、
綴っておきます。
京都のたばこ商の家に生まれます、
「村井兄弟商会」を設立、
アメリカの技術を学んで紙巻きたばこ、
"シガレット"の製造に乗り出します。
「サンライス」「ヒーロー」の銘柄を発売、
1899年には葉たばこ産地のアメリカで
勢力を増していたアメリカン・タバコ社と
資本提携を結ぶなど、たばこ専売制の
施行まで業界をリードしました。
「サンライス」(両切たばこ)
村井兄弟商会 1891年(明治24)発売
1897年には京都東山馬町に
約1,600坪の土地を求め、
新工場を建設し大量生産の体制へ…
長楽館竣工後も村井産業、村井汽船、
村井貿易と事業拡大は続きました。
長楽館には建堂々とした書斎。
部屋の真ん中に重厚なデスクと
革張りの回転椅子。
村井吉兵衛はこの回転椅子に座り、
事業の作戦を練り、
部下に指示を出していたのです。
書棚や部下用の椅子、シャンデリアなど、
書斎は今はカフェとして使われています。
2階への階段を上がると、
左手に少し広まった踊り場。
真っ白いシェル(貝殻)を連想させる
ドーム状の天井を備えた重厚なバルコニー。
玄関ホールに向かって張り出していて、
館のすべてを見渡せることができるのです。
1階の各部屋はもちろん、
2階の様子も手にとるように
見通すことができるこの場所、
当時 財界で指導的立場にあった村井、
シェルに包まれているこの場所を、
愛していたのに違いないと感じました。
「 モダン建築の京都 」展の螺鈿細工の椅子、
長楽館の喫煙室に置かれているもの。
バルコニーの反対側にあった
スモーキング・ルーム。
イスラム風に造るのが当時一般的、
床に貼られた幾何学模様のタイル、
紫檀に貝殻を埋め込んだ長椅子。
ところで…この喫煙室は、
時代の趨勢ではあるが長楽館では、
そのまま使われているのです。
強力な空気清浄機が煙を取り込んで…
玄関を入って右手に位置する旧客間、
竣工当時の写真にはDrawing Room
と記されているのですが、
食後に一息いれる、主に御婦人たちの
おもねてなしの部屋のことをさします。
部屋の中に進んだ少し奥まった場所、
ちょっと人目につくにくく、
淑女たちのヒソヒソ話のスポット。
ダイニングルームでの晩餐のあと、
おしゃべりに興ぜられたのです。
紳士たちには喫煙室以外にもう一つ、
晩餐会のあとのスポットがありました。
球技室の当時の写真にあるビリヤード台、
「四つ玉」というゲームのもので、
手元を照らす照明が吊らされています。
現在はカフェとして使われていて、
大きな円形テーブルが二つ。
入り口付近の壁面には左手に
球を出し入れする小窓、
右手に手洗い水の蛇口とシンク。
手洗いは使われず…いまはこの部屋でも、
多くの淑女たちが主役となっています。
特別公開は2階以上のエリア…
ここからはカメラNGなので、
写真は長楽館広報誌「長楽未央」より。
中2階にある茶室「残月の間」、
左手に正方形の二畳の床の間、
付書院を備えています。
半円形の明かり窓に丸窓二つ、
一方に春の桜、もう一方は秋の紅葉。
表千家の茶室「残月亭」の写しとも
言われますが、別モノと呼ぶべき。
「窓からの風景も瞼に焼き付けて」の解説、
優しく柔らかいのは明治期のガラスのせい。
デコボコがあるガラスの歪が、
100年前のタイムスリップをみせる。
大文字の夜はひときわであるとか…
村井は長楽館の完成を記念して、
知人に写真帖を送ったのですが、
階段を上りきった"御成の間"は、
収録されていないのです。
村井吉兵衛は1916年のはじめ、
先妻 宇野子に先立たれているのです。
その後 渋沢栄一らのすすめもあって再婚、
お相手は明治天皇の皇后の女官 薫子、
女官でも特に高い階級で、
華族出身の者だけの地位であったとか。
1919年に3階は改造され、
今日の姿となったのだそうで、
村井の再婚から2年後のことだという。
3階は別世界で、純和風の書院造り。
折り上げ格天井、金粉蒔の襖絵、
華頭窓などなど重厚かつ豪華。
宮中の続きのままの生活ができるように、
村井から薫子様への贈り物だったのです。
※このブログは長楽館広報誌「長楽未央」を
参考にしています。