レトロ大津をあるく 大津市旧大津公会堂


茶褐色のスクラッチタイル
一、二階には縦長窓、
三階にはアーチ窓と丸窓…
レトロな外観をキープして、
大津の人たちの交流の場
大津公会堂として1934年に
このちに建設されました。

2010年3月に
大津市の景観重要建造物
第1号に指定、
翌年の2011年1月には国の
登録有形文化財(建造物)
指定を受けました。

そんな旧大津公会堂ですが、
取り壊しの危機に見舞われていたのです。

竣工は1934年(S9)5月のことで、
大津商工会議所大津市立図書館とを
併設した"大津公会堂"として
総工費8万4千円で建設されました。
滋賀大津にあるのでヴォーリズ建築とも
解説されることがあるようですが、
大津市土木課 石原技師による設計です。

スクラッチタイルで覆われた、
ライト風やアールデコ風の特徴
併せ持つデザインでとなっています。

老朽化により近年は利用率が低下し、
耐震性にも問題を抱えていたのですが、
市民を中心に起こった
保存運動の後押しを受けて、
集会と商業の複合施設として整備。

リニューアル工事を手がけたのは、
大津市に本社を置く
株式会社 笹川組さん。
会社HPでは工事の特設ページを設けて、
紹介されています。
改修工事は2010年3月に完了、
コンクリート屋根を撤去し
鋼製勾配屋根にすることで軽量化
し、
耐力壁を新設して
3階ホールの大空間も確保したとか…

屋上に太陽光発電パネル

外壁照明にはLEDが採用…

建物に重厚な趣を添る
外壁スクラッチタイルは、
特注の信楽焼で復元されました。

この場所は建築当時"橋本町"とか
"大橋堀"と呼ばれて市役所が近くに、
1947年1月大津商工会議所が移転し、
内部改装の後に
日本でも最も早い時期の公民館
"大津公民館"として開館したのが、
5月3日のことだったそうです。

戦前の大津公会堂前あたり
琵琶湖埋め立て前の様子で、
旧大津市役所のあった一帯には、
舟入場があって"大橋堀"のゆえん。

正面に市役所庁舎、
左手前に朝日生命
右手に日本勧業銀行
市役所左手に電電公社という、
大津市の旧官庁街であったことを
伝えている昭和30年代ごろ。

1956年 市発行『伸びゆく大津』より、
江若鉄道の車両が
今の京阪石山線を走る、
線路横の道路は、
開通間もない湖岸道路
京阪電鉄とともに
江若鉄道の電車の姿がありました。
近江と若狭を結ぶ鉄道として
計画されたので"江若鉄道"の名、
「こうじゃく」とよみます。


かつての浜大津駅のにぎわい
1921年に三井寺~叡山駅間、
19316年には
浜大津~近江今津駅間が開通…
しかし若狭への延伸は果たせず
国鉄湖西線の建設にともなって、
1969年に廃線となりました。

浜大津港とか

写真パネルとともに公会堂の模型も…
成安造形大学の卒業生が2005年6月に
完成させたものだそうです。



地下もあるんです…

近いには bochi bochi さん。
2019年10月1日にオープンした
Cafe & Music Bar です。
ちなみにオーナーは同志社大学OB

外回りはこんな感じで、
半地下構造で採光が図られています。

正面は幾何学的な装飾

隅に円窓、格調ある外観

一・二階に縦長窓、三階はアーチ窓
西壁面にも入り口を設けて、
こちらは三階まで縦長窓。

水切りがつく窓
長寿命への設え

外壁のスクラッチタイルは60%ほど
建設当初のものを再利用したとか…



東面に突き出た車寄せ

イタリア料理、近江牛グリル、
創作料理、地中海料理の4店舗が入居




改修のときも階段の趣は、
できる限りそのままにしたとか…

階段の腰壁には磁器製のレリーフ

大津市の市木 山桜にちなむとか…

三階の講堂へと続く最後の階段

そもそも"公会堂"とはなにか、
ちょっと薀蓄を…

そもそも公会堂を定義・規定する
法律や制度が実はないのです。
それが原因かと思われるのですが、
公会堂といっても時代変化のなかで、
機能と規模の差異がみられます。
というより、定義がなければ…
建物全体の規模もさまざまという
ことになるのは当たり前のこと。

戦前戦後の公会堂建築を比べると、
大阪市中央公会堂に代表される
大都市の大きな公会堂で、
複数機能を1棟に収めたもの。
もうひとつは地方の小さな公会堂
複数機能を別棟に分散していたもの、
だいたいそう大別されるようです。

規模と機能の違いを変化としてみると、
講堂収容人数についても
100人から1000人以上の規模へと
変化してきます。
控室程度の小規模な部屋のみが
付加されていたのですが、
大食堂やバーなどが加わる…
さらに複数の会議室を備えていきます


ただ機能の多様化は1960年代になって、
大都市ホテルの宴会場が担うようになり
公会堂や文化会館から大食堂が消え、
"時代とともに役目を終える"
ということになったのです。

公会堂の英訳は Public hall
使われることが多いのですが、
欧米人には通じないのです。
その訳は公会堂が欧米にはない、
City Hall は市役所、
町役場は Town hall。

行政機関には講堂は必須で、
議場も閉会中は市民の場で公開が一般、
教会なども市民が集う場なのですから、
世界の中で日本の"公会堂"は
特異な存在であるのでしょう。



※このブログは
名古屋大学大学院 西澤泰彦教授の
 以下の研究報告書を参考にしました。
 「近代日本の公会堂建築の
   再評価に関する研究
  ー「四大公会堂」と地方都市の
  公会堂の比較を中心にー」

『公益財団法人大林財団
 研究助成実施報告書』2017年度所収

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