京もみじ特別拝観 嵐山羅漢のこと


宝厳院のまわりにおられる羅漢さんたち、
"らかんさん"は、お釈迦さまのお弟子さん、
実在した人々とも言われています。
お釈迦さまが亡くなられたときに
集まった500人のお弟子さんたちが、
五百羅漢のモデルであるのだそうです。

で…宝厳院の前の"嵐山羅漢"は、
何人おられるのでしょうか?
答えはおよそ120体だそうです。

《落柿舎》東原方僊 弘源寺蔵

京都生まれ大阪育ちの虎次郎
嵐山という地は、いつでもいける場所…
でもいい季節は大混雑で近づけない場所。
コロナ禍が落ち着いてきたこともあり、
渡月橋あたりも大混雑でした。

ちょうど弘源寺あたりでミゾレまじり
軒端で雨宿りをされていたので、
"嵐山羅漢"には人影が途絶えていました。

この風景に見覚えがなかったのは、
阪神大震災の供養を兼ねて
宝厳院が呼びかけたのが
はじまりだという訳…
個人や企業がそれぞれ思いを、
石仏に託し奉納したものです。

寺内にも五百羅漢
羅漢さんの話にもどります。
お釈迦さまの説法を実際に聴き、
修行に励んで煩悩を払い聖者に。
真実の智慧の聖者をインドでは、
アラハン」と讃えたそうです。
その後仏教が中国に伝来、
発音をもとに"阿羅漢"、
そして阿がとれ"羅漢"と…

弘源寺の紅葉は12/5までライトアップ
幻想的というより…ちょっとコワいかも。

その側にたつ"大堰川"の橋柱。
渡月橋のかつてのもので、
ここに移されているのです。

《大堰川の筏渡し》
 池田遙邨 弘源寺蔵

大堰川は天龍寺の寺領でしたので、
塔頭の弘源寺に残されている由縁です。

《法輪寺の十三まいり》
 伊藤小坡 弘源寺蔵

嵐山の渡月橋といえば、
「十三詣りで渡りきるまで
 振り向いてはいけない」

なんで渡月橋までなのか?
かつては渡月橋までは法輪寺の
境内地であったので、
渡月橋を渡り切ることで
お寺を出ることになるということ。
かつては法輪寺橋であったのを、
鎌倉期に亀山上皇の辞
くまなき月の渡るに似る」、
橋の上の月を見て"渡月橋"に。

弘源寺の築地塀にそって…
紅葉のトンネル





最後に嵐山羅漢におられた十牛図のうち
騎牛帰家」きぎゅうきか …
牛の背中で笛を吹いてい
旅人の姿ですが手綱もにぎらずに、
牛の進むにまかせています。

「十牛図」の説くところは、
やっとの思いで牛をつかまえ、
手なずけても元に戻ったにすぎません。
それでも旅人が満足しているのは、
誰に言われるでもなく、
自分から牛を探しはじめたから…
自分の足で歩きまわったから。
天龍寺 放生池の蓮…そして紅葉、
春になれば桜が咲きそろう。

「十牛図」には続きがあり、
牛のことを忘れ"忘牛存人"、
自分のことも忘れ
"人牛倶忘"、"返本還源"…
"入鄽垂手"にってんすいしゅ
町に出て生活するの意。
コロナ禍が師走に入って、
いきなり状況が一変しました。
元の日常に戻ることを願う日々、
でも時間は戻せないのですから、
新たに時間をどう刻むかにかかっています。

新緑のころ…元気でふたたび
訪れたいものです。

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