絵にみる和食通⑪ "食いだおれ大阪”のルーツ
久しぶりに「絵にみる和食通」を...
「浪花名所図会 雑喉場魚市之図」歌川広重 画
大坂夏の陣のあった1615年に、
焦土と化した豊臣の城下町は、
幕府の市街地再建により直轄地となり、
南・北・天満の大坂三郷が設置され、
豪商たちの活躍によって町人の手による
独自の文化が育まれました...
「浪速曽根崎図屏風」(大阪歴史博物館蔵)
架かる橋は「梅田橋」その下には、
「うなぎかばやき さけ有」の行灯の舟。
奈良時代より夏やせ防止にと食されたが、
蒲焼きは江戸時代に完成されたものです。
大坂では市中で売られる名物だったとか...
「当地は富豪のもの多く、
奢侈(しゃし)を極めし様に思わるれども、
奢侈(しゃし)を極めし様に思わるれども、
食飲圷(など)は
江戸のものの如きにもあらず、
諺(ことわざ)にいふ
江戸の食倒れといふもの思い合すべし」
久須美祐雋(くすみすけよし)という
大坂町奉行に在職した祐筆の随筆
『浪花の風』の一節。
"食いだおれ”とはもともと、
江戸に用いられたのだそうだ。
ただ食文化の先を行く上方=大坂が、
"食いだおれ”のポジションになったとか...
「浪華自慢名物尽 福本すし」
長谷川貞信画 大阪城天守閣蔵
寿司といえば江戸前のように言われるが、
今では感じることは出来ないが大坂湾は
江戸湾に負けない干潟で肥沃な内海。
大阪のすしの初出は「福島の雀ずし」とか。
江戸は握り寿司で大坂は伝統的な押し寿司、
いまなお大阪の不動の名物"ばってら”は、
明治になってからのものだが、
「福本すし」は心斎橋の老舗
「本福寿司」のことなのです。
「浪速の魁より」大阪市立図書館蔵
「浪華自慢名物尽 天満大根」
長谷川貞信画 大阪城天守閣蔵
天神橋北詰一帯にあった天満青物市場は、
当時の独占的な青果市場でしたが、
特に天満宮前大根は有名だったそうです。
ちなみに大根のルーツはなんと古代エジプト、
『日本書紀』には登場しています。
江戸後期には各地に地の大根があって、
『諸国名物大根料理秘伝抄』という
1785年(天明5年)の書物には43種の
大根料理が登場するそうです。
その一つ
「諸国名物の大なる大根 同大蕪香物漬方」に、
大なる大根の1種として
「大坂天満大根」が見られます。
漬物に適する大根として紹介されています。
「浪花名所図会 堂島米市の図」歌川広重 画