2013年11月13日水曜日

同志社の赤煉瓦たち① クラーク記念館


ニューヨーク州ブルックリンの
B.W.クラーク夫妻が、
短命23才で亡くなった息子
Byron-Stone Clarke
(1890年1月永眠)
記念するために建てられたのが
クラーク記念館」。


1894年1月30日に開館した当初は
「クラーク神学館」として、
神学教育と研究に利用されていたのだそうです。



もともとは、新島襄が永眠した後、
彼の死を悼む卒業生らが新島を記念する
神学館建築しようと企てていたが、
思うようにはかどらなかったのだという。

クラーク夫妻と子息の肖像の前に襄と八重















その最中、アメリカン・ボード経由で
B. W. クラーク夫妻から、
夭折した息子の名前を館名に冠し、
息子を讃えるタブレットの設置を条件に
1万ドルが寄せられたのだそうだ。

エントランス上部の欄間には、
"Byron-Stone Clarke Memorial Hall"

と刻まれる。

故人クラークは敬虔なキリスト教徒で、
入口にあるタブレットには、
次のことばが印されている。
“The study of the Word of God was dear to him."

竣工以降、「クラーク神学館」として、
主に神学教育・研究に利用されてきたが、
1963年の現在の「神学館」完成にともなって、
クラーク記念館」と改名。

2階の壁にはめ込まれている山室軍平のタブレット
「神ト人道トノ為メニ 山室軍平 1889-1894」。


山室軍平(1872-1940)
 吉田清太郎の援助をうけ同志社で学ぶ。
 「神と平民のため」に伝道、のち救世軍に加わる。
 社会事業の先駆者の一人。

阪神大震災を契機に
2003年から2007年まで
構造補強をも目的とした修復工事が実施。



いまなお教室としても利用されているが、
キリスト教主義教育の場として利用されている。

2階の窓ガラスから「明徳館」の塔がみえる。



館内のクラーク・チャペルも見せてもらいました。
結婚式場としても利用されているらしいです。

別の天井に隠れていた船形天井や、
見事なアーチ、天井飾りなどが復元され、
本来の美しさと役割を取り戻されたのだそうです。

1876年に建てられた「第二寮」、
新島襄の「自責の杖(つえ)」という
事件があったのはこの場所なのだそうです。
クラーク記念館前の茂みに置かれた牛の像
なぜ構内に牛の像があるのか、
その由来は平安期にまで遡るのだという。
同志社七不思議」のひとつ
「何度おきかえても
 太宰府とエルサレムの方をむく石の牛」

宗教博物館の建設を予定していたときに、
宣教師が持っていた「牛」と「大日如来の石碑」が
同志社に寄贈されたのですが、計画は頓挫し、
行き場を失った牛と大日如来が、
今の場所に置き去りにされてしまったとか...


「クラーク神学館」
→クラーク記念館
建築年:1894年(明治27)
構造:煉瓦造、2階建、桟瓦葺、西南隅塔屋付、鉄板葺
設計:R・ゼール
【国指定重要文化財】