六月六日は鑑真さんに会ふ日

六月六日って鑑真さんの命日なんだそうで、
日曜出勤の振替休日があったので、
奈良の「唐招提寺」でお会いしてきました。

最古の肖像彫刻でありながら
鑑真和上坐像」は完成度は随一のもの。
今年はその国宝像のお身代わりとして
制作された模像の開眼法要が営まれ、
年に数日間しか会えない像に代わり、
毎日そのお顔を拝めることが
できるようになったということです。

命日である六日に伺いましたが、
午後1時から始まっていた

舎利会御諱(ぎょき)法要」は、
講堂にて執り行われていました。

ふだんはひっそりとした雰囲気だとか...
講堂前で多くの人たちが
開眼供養を見守っておられました。

そんな中 混雑を避けて、
ホンモノの鑑真さんが宿る場所へ。

唐招提寺創建から四年後、
和上の弟子・忍基
(にんき)
講堂の棟梁が砕けるのを
夢でみたのだそうです。和上の死期が迫るのを悟り、
その容姿だけでななく精神性をも映した
御影」の制作を企てたと伝わります。

もともとは「御霊屋」におられたそうですが、
興福寺にあった旧一乗院宸殿であったものを移築し、
奉安されたのは一二〇〇年忌にあたる
1963年(昭和38)のこと。
御影堂」は江戸時代の寝殿造としても、
貴重な遺構でもあります。

宸殿の間の前には橘と桜が青々と...

鑑真坐像とは何度か博物館では対面しましたが、
やはりどこか違う雰囲気が漂います。
東山魁夷さんが描いた厨子絵に囲まれる姿は、
苦難の末に日本に渡ろうとした鑑真さんの
うちに秘めたる想いが
時空を超えて伝わって来るようです。

そして〜〜境内奥手にある
鑑真和上御廟」にもお参りを。

小さな築山の上に石塔が配された
「御廟」にも多くの人が参られていました。

そばにある井上靖の名著「天平の甍」の碑。
映画化されたのは確か虎次郎が中学生の頃、
映画に感銘を受けて読んだのを覚えています。

日本の二人の留学僧、
栄叡
(ようえい)と普照(ふしょう)は、
遣唐使の一員として戒律の伝授に当たる
高僧を求めて唐に渡ったこと。
そして鑑真和上は、
日本が仏教有縁の地であることを懇願した
彼らの熱意にうたれ、幾多の苦難を乗り越えたこと。

仏教伝来以後200年経っても、
僧となるための「具足戒」と呼ばれる
正式な受戒が行われていなかったらしく、
鑑真の来日によって名実ともに
備わったのだと伝わっています。

まさに唐招提寺は
戒律の場」でありました。
金堂の西側にある「戒壇」は、
火災により建物は失われていますが
三段の石段が鎌倉時代のものとして伝わります。
インド・サンチーの古塔を模した宝塔は
1980年に築かれたものです。

金堂の周辺に戻ると...
舞楽が奉納されていました。

そして五色の紙がハラハラと…

お世話をされている方から
五色そろいの
蓮の花びらを頂きました。

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