2013年6月12日水曜日

奇想の画家 曾我蕭白〜ボストン美術館展

「ボストンを見ずして日本美術を語るな」
十万点のコレクションはその量ではなく、
日本美術は「雅なるものだけに留まらない」。
本質を見抜くキーワードが、
そのコレクションに含まれています。
ちょっとムズカシイ言い方をし過ぎました...
国宝・重文級が勢揃いする一方で、
蕭白コレクションは異彩プンプン
風仙図屏風 曾我蕭白筆











「アメリカの大都市の往来に書き散らされた
 落書き(グラフティ)に通ずるような、
 かたちの肉厚な掴み方を特色とする。」
(「ボストン美術館の曾我蕭白コレクションについて」
   辻惟雄, 2012, 『ボストン美術館展 日本美術の至宝』)

「なんでこんな逸品を手放したのか?」
ボストン美術館の日本美術コレクションを
目にするとほとんどの人が口にします。
ただ現実には、あの伊藤若冲も相当長い期間は、
まったく注目されていませんでしたし、
多くは二束三文で海外に売られたといわれます。
虎渓三笑図屏風 曾我蕭白筆















当然 どギツイフォルムをみせる曾我蕭白は、
生理的に受けつけない人も多かったこと、
一種の忌み嫌う存在であったのではないかと。
朝比奈首曳図屏風 曾我蕭白筆














「実は当初百点を超えていたボストンの蕭白画は、
 1930年台の不況時代に、
 うち七十点が売却された。」というから、
そのグロテスクなまでに荒々しい表現に、
まさに躊躇してしまったのかも知れません。

2005年に京博で行われた
「曾我蕭白 無頼という愉悦」のポスターには、
「円山応挙がなんぼのもんぢゃ!」と...
ただ京都で活躍した画家たちに
対抗心があったのかどうか?

若冲は、錦小路の青物問屋の長男であったようで、
基本的に生涯、生活の心配をしなかったらしく。
好きなだけ絵を描きつづけた人、
絵が生活の糧ではなかったようです。
商山四皓図屏風 曾我蕭白筆












曾我蕭白は商家で江戸に生まれながら、
17歳にしての天涯孤独の身となり、
奇抜なモノを発信することに貪欲だった
一面があったようです。

でもどこか優し気な眼差しも垣間見えます...
だからこそ「閉塞感」のある時代に
ウケる存在になりえるのかも知れませんね。