荒々しい神の祭

天神祭の中心は「御鳳輩(ごほうれん)です。
江戸時代に描かれた天神祭には、
「鳳神輿」「玉神輿」は見えますが、
「御鳳輩」はどこにもありません。























 月岡 雪鼎 「天神祭図」(部分) 
   奥が 「 鳳神輿 」 手前が 「 玉神輿 」
 
   



実は「御鳳輩」は明治初年から登場したもので、
神仏分離政策の結果によるものです。

神仏分離政策とは、、
僧侶の神事への関与を禁じたもの。

もともと天神祭の中心であった 「鳳神輿」には天神様が、
「玉神輿」には法性坊尊意である天台座主(ざす)が
 お乗りになる慣わしだったようです。

天台宗という仏教の僧が
天神祭という神事に
関わること、、
    明治に入り終わりを告げました。


もともと天神様とは荒々しい神、

「荒ぶる神」ですので、
もしものときに
それに
対抗できうる法力を持つ尊意の力を必要にしたどだと。。

「荒ぶる天神」を鎮めるのが「玉神輿」の役目でありました。
代わって「玉神輿」には手力雄命(たぢからおのみこと)が
      「鳳神輿」には野見宿禰(のみのすくね)が

            お乗りになられるようになりました。。。

手力雄命はあの天の岩戸を開いた強力の神。
野見宿禰は御前相撲で 当麻蹴速(たいまのけはや)という
   力持ちを投げ飛ばした
天神様の祖先だと言われています。
いずれにしも強力無双な神を戴くことになったようです。

          荒々しい神の祭、、



今年は「神鉾」「鳳神輿」の大改修がすまされ、

大川に燦然と輝く「鉾」「鳳」
      勇姿が見られることと思います。



月岡 雪鼎 (つきおか せってい) とは???
  江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本画家。
  京都生まれ。1775年、大坂浪華塩町の心斎橋に移住していたという。
  はじめ高田敬輔に狩野派を学ぶが、
  のち西川祐信風の肉筆浮世絵美人画で名をなした

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