太子霊場めぐりvol.18 飛倉と空鉢護法
空とぶ鉢…
国宝 信貴山縁起絵巻 上巻
「飛倉の巻」のワンシーン。
実は「飛倉の巻」に別名があって、
「山崎長者の巻」とも呼ばれていて、
従来より通称とされるのが「飛倉の巻」。
内題はなく近世のものと考えられる
"題箋"にあるのみなのです。
第一巻は大混乱の中に幕を開ける。
瓦屋根の校倉をもつ富裕な館、
多くの下女下男が働いており、
供養を受けていた赤鼻の僧と小僧が
立ち上がって中庭の倉を指差す…
校倉の扉から金の鉢が転げ出る。
飛倉…実は飛んでいたのは鉢、
鉢が倉を乗せて飛んでいたのです。
もともと信貴山の中興の祖 命蓮は、
この長者の邸宅へ飛ばし、
食料等を鉢に乗せてもらい、
鉢だけを往復させていたとか。
その日は鉢が長者の鍵付の
倉に置き忘れているから、
倉から鉢がひとりでに飛び出し…
信貴山には空鉢堂があり、
"空鉢護法"としていまなお
信仰が篤いのです。
参詣道のすぐそこ的な 👉 …
参詣道の階段は不規則
つづら折りが続き…
マスクだからという訳ではないが、
息があがってしまいます。
ほんま"よう おまいり"なのです^^;
この石柱の"すぐそこ"は、
信頼して良いのです(笑)
ほどなく往くと"信貴山城址"
1536年(天文5)木沢長政が築城、
信貴越をおさえることにより、
大和支配の拠点とされていました。
いったん焼失するも、
大和入国の松永久秀が改修し、
大規模な城郭を築いたそうです。
1568年(永禄11)に筒井順慶と
三好三人衆連合軍により落城、
その直後に松永久秀が奪い返すなど、
戦いの舞台となった地。
その後 織田信長に追い詰められ、
信長が欲していた"平蜘蛛茶釜"
とともに自爆したとも…
空鉢護法に戻ります…
空鉢護法堂は、毘沙門天王のご眷属、
八大龍王の上首・難陀竜王を祀っており、
一願成就のご利益を得られるとか。
信貴山真言宗管長の 田中 眞瑞 法主が
"空(くう)”というものをこのように
話されています。
「数字のゼロは仏教でいう空。
般若心経の色即是空の空です。
何も無いからゼロ。
でもゼロ無くしては
数字の世界は成り立ちません。
ゼロはすべての数字を
存在せしめる根本なのです。
そしてこの世の根本であり、
この世のすべてのゼロに当たるのが
仏様であるという考えを仏教はします。
すると、あそこにも、
ここにも仏様がいる。」と、
「毘沙門様がなぜご利益をくださるか。
それは社会でそれぞれの役回りが
務められるようにと
授けてくださるのです。
ご利益を得た人は社会に返す。
またそのような人にこそ、
ご利益が授けられます。」※1。
空鉢護法堂のまわりには蛇…
空鉢護法は毘沙門天の分身で、
時に龍神=巳(み)の姿で
現れるといわれています。
白蛇は、新生・成長・繁栄の
シンボルとされ、脱皮した皮を
お守りとして身につけておくと
「実(巳)が入る」とも…
托鉢というのがありますが…
命蓮の空鉢護法はかなり乱暴です。
飛倉のその後ですが、
倉は信貴山に据え置かれ、
改めて鉢に米俵を乗せると…
こんどは米俵が連なって
長者宅に飛んでいく…
見上げる鹿たち。
実は「山崎長者の巻」という名は、
古いものではないのです。
信貴山縁起絵巻は説話集を
もとに描かれているとされますが、
古本説話集では
「山ざとに、げすに人とて、
いみじきとくにんありけり」
宇治拾遺物語は「此山のふもと」、
信貴山の近くを想定させるのですが…
長者宅の倉のあったところに、
米俵が舞い降りる。
油を絞る長木と呼ばれる装置と、
大きな茹で釜がとともに。
平安時代には山崎の地は、
木津川、桂川、宇治川の合流地、
流通の要として栄え、
当時の山崎商人は油売りで
商権を独占し富を形成していたとか…
詞書を欠く「飛倉の巻」に
詞書は本来あったのか?
「絵巻の常として、
巻頭部分の損傷は著しく、
巻を進めるほどに痛みが
少なくなるのはしばしば…
しかし期せずして起こったと
考えられる冒頭の詞書の損失が
かえって
劇的な効果を生んだとしたら
作者としては望外のものと
すべきであろう。」※2と…
絵巻冒頭に描かれる油絞りの長木、
主題あったのかはギモンです。
※1特別講話18祈りの回廊 2016年秋冬版
「聖徳太子と毘沙門信仰」
信貴山真言宗管長 田中 眞瑞
※2研究論文「信貴山縁起再考」
神戸大学名誉教授 百橋明穂
神戸大学美術史研究会
『美術史論集』第4号 2004年所収
※1特別講話18祈りの回廊 2016年秋冬版
「聖徳太子と毘沙門信仰」
信貴山真言宗管長 田中 眞瑞
※2研究論文「信貴山縁起再考」
神戸大学名誉教授 百橋明穂
神戸大学美術史研究会
『美術史論集』第4号 2004年所収