太子霊場めぐりvol.16 信貴山朝護孫子寺
物部守屋を討伐せんと
河内稲村城へ向かう途中、
この山に至ったと伝わります。
聖徳太子が戦勝祈願をするや、
天空遥かに毘沙門天王が出現…、
必勝の秘法を授かったそうです。
寅年、寅日、寅の刻のその日、
毘沙門天の御加護で勝利、
御尊像を刻んで伽藍を創建、
信ずべし貴ぶべき山…
信貴山の毘沙門天王は
寅に縁のある神の信仰が
今も篤くしています。
毘沙門天王の
偉大な力を称えるために
建立されたのが四天王寺、
第2番霊場 大聖勝軍寺のブログで
お伝えしたところです。
聖徳太子が発した仏教興隆の詔、
官寺・氏寺の建立が盛んとなり、
信貴山もまた仏国浄土を構築し、
その隆盛を得たのです。
聖徳太子の騎馬像は、
北村西望さんの作、
長崎市平和記念公園の
平和祈念像を手掛けた人です。
太子像の近くには、
毘沙門天王がこの国に初降臨、
聖徳太子に対面した地。
日本最初多聞天出現霊地の石碑。
聖徳太子の歴史たびの幟…
信貴山門前 大門池に架かる開運橋は、
1931年に架けられ全長106m。
2007年に国の登録有形文化財に
指定されているのは、
"上路カンチレバー橋"※日本最古、
鉄骨を組み合わせた"トレッスル橋脚"、
というのが指定の理由とか…
上路カンチレバー橋…
トレッスル橋脚…とか、
いずれも文化遺産オンラインより。
バスが走るのは信貴大橋
本堂には「聖徳太子御遺跡霊場」…
第二十番 朝護孫子寺とあります。
朝護孫子寺の寺号は、
醍醐天皇の病気平癒を祈願、
たちまち全快なされた…
朝廟安穏・守護国土・
子孫長久の祈願所に。
空鉢護法、劔鎧護法の
信貴山中興の祖である
命蓮上人が賜ったものなのです。
※上路カンチレバー橋とは?
開運橋は現存する最も古いもの。
脚がトラス構造になった
トレッスル橋脚も大変貴重な存在、
通行部分が橋桁部より上面にある
上路カンチレバーは珍しく 。
地盤の弱い日本では以前から
このカンチレバー橋が
広く用いられていた。
ドイツ人ゲルバー考案によるもの、
片持ち梁の構造形式を持ち、
支点と支点の間 の桁を支える構造。
開運橋は現存する最も古いもの。
脚がトラス構造になった
トレッスル橋脚も大変貴重な存在、
通行部分が橋桁部より上面にある
上路カンチレバーは珍しく 。
地盤の弱い日本では以前から
このカンチレバー橋が
広く用いられていた。
ドイツ人ゲルバー考案によるもの、
片持ち梁の構造形式を持ち、
支点と支点の間 の桁を支える構造。