四寺廻廊と陸奥の祈り 青龍山 瑞巌寺


正しくは松島青龍山瑞巌円福禅寺
臨済宗妙心寺派に属します。
もとの宗派と寺号は天台宗延福寺
慈覚大師円仁が828年(天長5)に
創立したのだと伝えられていて、
奥州藤原氏も延福寺を保護しました。
その後 円福寺 に…

2011年の発掘調査により、
新しく臨済宗円福寺が創建されたと
考えられていた定説とは異なり、
円福寺の主要建物群は現在の
伽藍と同じ位置にあり、
文献の再考からすると、
一時期 禅宗と天台宗は共に
勢力が存在していた…
現在の主流的な見方は、
一時共存していた時代があったと。


瑞巌寺伊達政宗の創建、
1609年(慶長14年)に完成。
関ヶ原の戦い後、
仙台城の築城と併せて、
精神的拠り所=神社仏閣
造営を行いました。
浄土の地=紀州熊野に用材を求め、
畿内から名工を招き寄せるなど、
政宗の意気込みが感じられるもの。

奥州藤原氏や鎌倉幕府保護の
歴史ある古刹の再興者となることは、
我こそが"みちのく"の継承者であること、
"奥州の高野"と称される霊場松島
その円福寺を復興させ、
自身の菩提寺とすること…

瑞巌寺に訪れたのは東北大震災以来
海水に浸かるなどした杉木立。
倒木とはならずとも、
10年の歳月を経て…

調えられ…

当時は本殿前もフェンスがありましたが…

本殿前の切妻造、杮葺の
四脚門である中門より、

本堂は入母屋造の本瓦葺を
見ることができました。

本堂 上段の間には奥に火頭窓と違い棚
襖絵「四季花卉図」は"平和と豊かさ"、
床の間「梅竹図」は"高潔と清操"、
帳台構の「牡丹図」は"富貴"を表す。
2018年の藩祖忌で制作された、
伊達政宗甲冑倚像
"藩主御成の間"の格を示しています。。

こちらは宝物館に座するオリジナル、
1652年(慶安5)に厳修された
政宗公の17回忌法要に、
仏間中央に安置されたものです。
ほぼ等身大の木像は、
正室 陽徳院愛姫の発願で
京都の仏工に彫らせたもの、
遺言により独眼竜ではありません。

そしてこちらが正室愛姫の落飾姿
数え年12歳で政宗に嫁ぎ、
五郎八姫・忠宗らの実母。
瑞巌寺99世 雲居禅師に厚く帰依、
86歳で没するまで交流があったとか。

本堂を彩る欄間彫刻、
紀州根来から招かれた
鶴刑部左衛門国次の作事によるもの。

天皇、皇族、藩主専用の玄関
"御成玄関"への”御成門”、
入母屋造、本瓦葺の薬医門です。



切妻造の本瓦葺で、
入母屋造の煙出しをもつ
大屋根の庫裏

こちら法身窟(ほっしんくつ)
宋より帰国した法身性西禅師と、
鎌倉幕府執権・北条時頼
出会ったところと伝わります。
鎌倉期の臨済宗円福寺の開創は、
時頼が伽藍整備したもの。

窟内には供養塔が立つ。

松島湾に浮かぶ経ヶ島
島の名の由来は時頼が
天台宗徒を追放した時、
慈覚大師円仁以来所蔵の経典を
この島で焼いたことから…
名付けられたとのこと。
天台宗および円仁由来の
仏像仏具一切はこの島で焼失…

四寺廻廊の四山實印は「法」
佛法の法は経典のことです。
瑞巌寺を「法」とした意味、
なんなんだろうか…
想像がめぐります。

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