太子霊場めぐりvol.15 雪丸ロード


聖徳太子は何人もの話を同時に
聞くことができたという
逸話が残ると伝わりますが、
愛犬 雪丸にも奇蹟譚が残ります。
人間と話をしたり、
お経を唱えたりすることが
できたというのだと。

雪丸は自分の死期を悟ったとき、
達磨寺に葬ってほしいと…
雪丸自ら語ったのだという。

横穴式石室をもつ径約15mの円墳。
この古墳が遺言?にもとづいて
葬られた雪丸の墓であるのだとか…

円墳の上には祠がありました。

聖徳太子が密かに法隆寺からと
通られていた地下道があると伝わり、
古墳の石室がそれにあたるとも。

とにかく王寺は雪丸まみれ…

王子駅から続く全長約147mの
久度大橋」からスタート…

南口では太子様とツーショット

葛下川の堤防に案内板

あいさつだワン!!

葛下川にかかる達磨橋を渡ると、
ツーショットフォトスポットが立つ…

奥に見えるのは「和の鐘」とか…

やわらぎの鐘と読むらしい…

設置は1963年で“愛の鐘"、
子どもたちの帰宅を促す、
町内に鳴り響く鐘だったとか。

町役場の壁面に
和の鐘が鳴るまち王寺」と。

ご当地マンホールも「和の鐘」

1974年制定の町歌にも、
やわらぎの鐘 われらの王寺」と、
3番には達磨寺も謳われています。

見上げると雪丸ロード

見下げると雪丸の足跡

達磨寺直前の横断歩道には、
雪丸とび坊

達磨寺前バス停には笏を持つ雪丸

だるま寺↑

西門入口の雪丸像は
2017年に設置されたもの。

王寺駅北口にもいてました!
太子の愛犬だけに烏帽子姿

達磨寺の雪丸像にもどります…
花崗岩でできていて高さ65センチ、
江戸時代の石造狛犬に通じます。

1791年(寛政3)に発行された
『大和名所図会』達磨寺…

本堂の北側に "いぬづか" と見え、
江戸中期には存在が知られていて、
"問答石"も描かれています。

元日に鳴けば豊作に恵まれるとか…
フクマル呼びという正月迎えの
行事との繋がりがあったようです。

達磨寺にもさまざまな
雪丸グッズが溢れていました。

図書館の返却ポストの雪丸は、
幼犬のようにもみえますね。

雪丸の話をもう少し…
1607年(慶長12)著作の
太子伝撰集抄別要』によると、
「太子の宮に『白雪丸』という
 白い犬がいました。
 犬の母も『白梅』の名前で
 飼われていました。
 太子は白雪丸に役人をつけて
 毎日食べ物を与えていました」と…

「あるとき犬が少し痩せ、
 何かを訴えるように
 前足を折り曲げて
 かしこまりました。
 太子は奉行が食べ物を
 盗んでいるのだなと
 気づきましたが、証拠なく…
 そこで太子は
『学架(博士)のところへ行って
 訴状を書いてもらいなさい』
 と命じたそうです。
 白雪丸は訴状を書いてもらい、
 太子に届けた。」のだとか…

『太子伝撰集抄別要』
白雪丸が死んだあと墓を築き、
その上に松を1本植えた。
そこが郡山の「犬臥の岡」だとか。

昭和初期の「奈良縣郡山町全図」、
今の大和郡山市・新城神社の近くに
聖徳太子犬塚」がみえる。

達磨寺から雪丸の墓は、
移されたのだろうか。

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