2014年5月8日木曜日

宗達さんのゾウさん〜養源院

三十三間堂よりも東にある「養源院」さん。
立て札には「血天井」の文字。
豊臣秀吉の側室の淀殿が、
実父である浅井長政の追善供養のため、
1594年(文禄3)に創建された寺。
一度は焼失したのですが、
淀殿の妹であり徳川秀忠の夫人であった
お江の方の発願により、1621年(元和7年)に
伏見城の遺構が移築されて再興されました。
「血天井」とは・・・
血の染み込んだ板で作った天井のことです。
関ヶ原の戦いの直前、
伏見城の留守居を任された鳥居元忠をはじめ、
約二千の徳川方に対し、
豊富臣方の石田三成が率いる
四万の軍勢が総攻撃をしかけたそうです。
戦いのなか必死の抗戦も空しく力尽きたのは、
鳥居元忠はじめ380余名ら。
「中の御殿」に集まって最期をとげます。
ただ関ヶ原の戦いの戦後処理が終わるまで、
二ヶ月もの間放置されていたのだそうです。

家康は彼らの供養のために

決して床にはするな」と...

血痕や体のあとが床板に染み付き、
洗っても削っても取れなくなってしまったそうです。
その板を外し寺の天井に使われたのだそうです。
長らくそれらの魂を鎮めるために...

徳川家の菩提所となっているので、
二代秀忠から十五代慶喜までの
歴代将軍の位牌が祀られています。
その位牌のあるお部屋を取り囲むのが、
十二面の「金地着地松図」。
描いたのは 俵屋宗達 と伝わります。
ただ、生没年なども不詳...
経歴もよくわかっていないそうです。
一説には「俵屋」という
職人集団だったのとも言われています。

本堂の玄関をあがると...
まず目の前にあるのが「唐獅子」。
空から舞い降りる金の獅子と、

空へ駆け上る白い獅子...意味があるのでしょうね。

そして美術の教科書にも登場する「白象」。
釈迦の脇持仏の普賢菩薩の乗り物が「白象」、
そして文殊菩薩は「唐獅子」なのです。
非業の死を遂げた徳川家臣への鎮魂と、
極楽へと導こうとする願いが込められています。
胴体の班紋の部分には絵具を重ねてにじませる

たらし込み」という手法が用いられています。
そしてこちらは「波と麒麟図」。
実は麒麟は性質穏やかで優しく、

神聖な伝説の動物であるそうです。
徳川秀忠とその妻お江こと崇源院の位牌には、
菊・葵・桐」の3つの紋が刻まれています。
菊は皇室、葵は徳川家、桐は豊臣家...
秀忠の子である和子は、後水尾天皇に入内、
そして東福門院となった時代には、
幕府と天皇家の関係が難しくなったそうです。
豊臣家とも合わせてこの位牌にはさまざまな、
切なる気持ちが現されているのだと思います。