2013年2月5日火曜日

十三まいりのお寺・太平寺へ

四天王寺前夕陽ケ丘駅」から夕陽の街をぶらり。

駅を降りるとすぐ目に入る「十三まいり」。
江戸時代の文献にも「太平寺の十三参り」の
記述があって今なお三月十三日に近づくと、
多くの参拝者が智福を祈る。

十三歳になったときに、

虚空蔵菩薩の仏徳にあやかり
「知恵詣り」「知恵貰い」する。
虚空のような広大無辺の知恵と慈悲を持ち、
衆生の願いを叶えるとされています。

「十三まいり」は江戸時代の大坂商人の成人式で、
現在でも祭りの日には境内で
十三智菓」というのが売られるのだそうです。
昔は近所の菓子屋で自分の好きな十三種のお菓子を
買いお供えして持ち帰る風習もあったそうです。

山門を入るとすぐあるのが「マニ車」。
お経が納められているネパールの「経車」で、
手で回すとお経を一巻唱える功徳があるとか。
釈尊誕生の国 ネパール・パタン市の学校建設に、
おおさか十三仏霊場会」が援助している関係で、
友好のシンボルとして贈られたものです。
 
境内には「針塚」、「筆塚」、「茶筅塚」
といった供養塚が並んでいました。

毎年2月8日には道具を供養し、
感謝と諸芸の上達を祈る修行が行われます。

本殿の前に残る石の鳥居。
もともとは加賀藩大坂蔵屋敷の菩提所だったそうで、
蔵屋敷内にあった天神宮が寺に移されたときの名残。

こちらは境内にある「北山不動明王」。
「大阪南方不動尊」とも呼ばれています。

元禄期の名医 北山壽安
(きたやまじゅあん)
萬民救済の誓願を込めて建立した。
寿安は中国の最新式の治療法を導入して、
道修町で開業していたそうです。
裕福な患者からは莫大な代金を取り、
貧しい人からは代金を取らなかったので
「偏屈医」と呼ばれました。

寺伝によれば元禄14年(1701年)に
万民救済の誓願成就を祈念して、
この石像の下に入定したと伝えられています。
道修町の薬問屋街としての発展は、
この頃に薬種商が住みついたのがキッカケとか…

祇空翁文塚

夕陽の街をぶらりとしたレポは続く・・・