2011年11月4日金曜日

大坂城めぐり「金蔵」


江戸幕府の金蔵の中で
唯一現存する「金蔵」。

幕府の御用金保管庫として、
毎年多額の金・銀・銭の
出し入れがあり、
幕府の「西日本中央金庫
  としての役割を
担っていました。






江戸時代の呼び方は「御金蔵(ごきんぞう)」。

畿内・西国の年貢金が6割、
長崎貿易の収益金が2割、
あとは…
大坂城内備蓄米入替にともなう売却代金など。

今のお金にして500~800億ぐらいのお金
大坂城内の
「金蔵」にあったそうです。
これは幕府の一年間の収入のほぼ4割にあたります。
















現存する「
金蔵」以外に
もうひとつあったようで、
古くからあったものを「元御金蔵」、
1751年に建てられたのを
「新御金蔵」として区別していたようです。
今に伝わるのは
新御金蔵」の方で、
「元御金蔵」は1892年(明治28)に
大手前配水池」建設されたときに解体され、
その後 高槻の移築先で焼失しています。















江戸城以外に二条城や駿府城にもあった
金蔵」は今はありません。
江戸幕府のものとして現存するのは、
これ1棟のみなのだそうです。

















幾度の戦火をくぐり抜けた「金蔵」ですが、
第二次大戦後の荒廃はかなりひどかったようです。
入り口も戦時期に変えられていたものを、
1961年に解体修理が施され、
かつての天保期の姿を取り戻しているそうです。

















東西約6メートル、南北約16メートルで、
総面積は93.11平方メートルの 細長い建物
















寄棟造りの本瓦葺で、壁の上部は白漆喰、
下部が「なまこ壁」と呼ばれるつくり。

四角の平瓦を並べて打ち付け、
その間を漆喰で「かまぼこ形」に
  盛り上げて塗られています。

入り口の戸は三重で、
窓や下の換気口も鉄格子がはめられ、
床下にも石が敷き詰められて厳重なつくり。















ある時期には「22トン」ぐらいの重さの貨幣が
納められていたことがあったようで、
その重量に耐えうる構造を持っています。

















今は奥の部屋は一部床板が取り外されていて、
敷石が見れるようになっていました。


とっても厳重な「金蔵」ではありましたが、
歴史的には2度の「御金蔵破り事件
  が起きていたことが解っています。

そして明治維新後の幕府御用金のゆくえ
さまざまなエピソードがあるそうですが、
真相は謎のままなのだとか…

埋蔵金ってのはロマンにしておくのが

    一番かも知れませんね。