2011年11月20日日曜日

大坂城めぐり「焔硝蔵」




















ふだんは見られない「大坂城」、
「乾櫓・焔硝蔵」の
  特別公開に行って来ました。















どちらも「西ノ丸庭園」内にありまして、
ちょうど土日は入園料無料開放でした。
幼少の頃は日曜日といえば、
ここに来て遊んでいたのが思い出されます。

そして…
小学校の写生会は必ずココ、
当然天守閣を描いていましたが、
なんど描いてもちょっと傾いていました。

















この日は「はなやか関西茶会記」ってのが
行われていて園内のそこかしこで野点席があり、
各地のお茶の紹介コーナーが立ち並んでいました。
















そして園内の奥にある
焔硝蔵(えんしょうぐら)」へ…

















「焔硝」とは硝石を精製してつくる
硝酸カリウムのことで、
これに硫黄と木灰が混ぜられると
黒色火薬になるのだそうです。

焔硝」は原料の呼び名ですが、
江戸時代では火薬(合薬)をおさめている
蔵を
「焔硝蔵」と呼んでいたそうです。

















大坂城内の遺構はすべてが
徳川幕府の手によるもの、
「焔硝蔵」にも葵の御紋がみえます。

徳川時代の当初の火薬庫は
土蔵のものであったようですが、
そのうちの一つ青屋口にあった火薬庫には、
1660年(万治元)6月に雷が直撃。
城外でも多数の死傷者を出し、
市街の家屋も大規模の倒壊を起こすなど、
大地震か??」と思わせる
大爆発で騒然!!

















引火防止のため
半地下式の「埋土蔵」だったのですが、
落雷には有効でなかったですし、
湿気が多く火薬の保存期間に
   問題があったようです。

















1685年(貞享2)に新築された
この「焔硝蔵」は床、壁、天井すべてが
分厚い花崗岩で覆われています
















そして東西の出入り口とも
三重の金属製の扉で密封されています。

















空気穴が巧みに配されていて
防湿対策も施されているので、
明治以降も陸軍が引き続き
使用していたのだそうです。

















昭和の初め頃までは「伏見櫓」内側にも
同じ石造りの「焔硝蔵」があったようです。
江戸城や二条城などの将軍の城をはじめ、
各地の城郭にもあったようですが、
江戸時代のままに残っているのは、
この一棟のみなのだそうです。

なお、1959年(昭和34)に、
屋根のみ解体修理が行われて今に伝わります。