2011年11月7日月曜日

ふだん見られない京都に会う「浄福寺」

ふだん見られない文化財に会う。
「第47回 京都非公開文化財特別公開」の
一つに
機会があって触れることができました。





















京都の「西陣」の町屋に位置する「浄福寺」、
実は向かいの「
慧光寺(えこうじ)」に
祖父母の墓所があるので、
境内はよく見させていただいているのですが、
はじめて「
本堂」と「方丈(ほうじょう)」の
内陣に入らせていただくことに…

浄福寺通に面する赤い門は、
秀吉がつくった聚楽第の一部ではないか
     という説もあるそうです。 

興福寺の
賢憬(けんえい)が
8世紀末ごろに、唐から請来した
釈迦如来像を安置する寺を
建てたのが起源と伝わっています。
ただたびたび火災にあったのだそうで、
1276年(建治2)に
後宇多天皇の命により、
一条村雲に再建され
村雲寺」とも呼ばれていました。

室町時代に
後柏原天皇より
「三昧(ざんまい)堂」の
勅号を賜り
浄土宗を兼ねるようになり、
後に知恩院の末寺となります。

境内の墓地には、
光格天皇皇女霊妙心院はじめ
著名な公卿、殿上人の墓が多いそうです。













現在ある本堂は1781年(享保16)から
18年かけて再建されたものだが…
この時 現代の建築基準法にあたる
三間梁規制(さんげんばりきせい)
    というものがあったそうです。

建物の奥行きを三間以内にせよというものだが、
三間とは約5.4メートルなので、
大きな本堂はなかなか難しい…

そこで設計に工夫をして、
外から見れば二つの建物が並んでいますが、
中に入れば一つの空間を確保したのだそうです。
日本最古の違法建築」って紹介されていました。
















本尊の裏堂の壁には、
京都御所の御用絵師であった
鶴沢探鯨(つるさわたんげい)の筆による
拈華微笑図(ねんげみしょうず)
       が描かれています。

拈華微笑」とは、
言葉を使わずお互いが理解しあうこと。
心から心へ伝わる微妙な境地・感覚のたとえ。
 という意味らしいですが…
なかなか表情のよい仏画でした。














こちらは
方丈の鳴き龍
ちょうど龍のしたで手をたたくと、
     龍が鳴いたように…
方丈に描かれているのは珍しいように思います。


書院で住職に依る「
十王図の絵解き」がありました、
中陰の四十九日間に地獄の裁きに関する法話は、
実にわかりやすくユーモアに長けているものでした。


死後七日目から七日ごとに七回、
閻魔大王
(えんまだいおう)
はじめとする十王から、
生前の行いに対してお裁きを受け、
四十九日目で
来世の行き先が
決まるとされています。

残された家族は
故人が極楽浄土に行けるように、
ですから善を送る(追善)法要を
       営むということ。






故人への追善=応援ってもの、  
裁判が終わってから応援しても仕方ない

いろんな法要を事前にやるのはよいが、
 などと説明されていました。






















ふだんは京都国立博物館に寄託されている
土佐光信の「十王図」のうち
三幅が展示されていました。


浄福寺はこの地に移転されてからも、
京都で歴史上最大の大火「
天明の大火」が
1788年に起こり寺に迫ったのだそうです。
その時は赤い東門の手前で
止まってことなきを得ますが、
この時に火を止めたのが
鞍馬から舞い降りてきた天狗とか?

天狗は赤門の上で巨大なうちわをあおいで
火を消したのだといわれていて、
赤門の傍には
天狗を祀る祠があります。
















狛犬の尻尾も天狗のうちわ























※堂内などの写真は
 「平成23年度 第47回
  京都非公開文化財特別公開 拝観の手引」より