岡山県北の雄都 津山たび〜城西をたずねて

津山城の堀の内側には、
藩主の一族や重臣たちの
広大な屋敷が建ち並び、
学問所や米蔵なども
設けられていたそうです。

江戸時代には内山下と
呼ぶこともあったが、
明治時代に"山下"に統一されました。
広い敷地が利用可能となった
山下地域には、北条県庁などの
役所や学制による小学校、
あるいは製糸工場などが建設され、
津山の近代化の中心地に。

津山藩は、
城下町の東西の端に各宗派の
寺院を集めて寺町をつくりました。
東の寺町は丘陵上に配置、
"西寺町"では町人町から続く、
主要な街道に沿うかたちの寺町。

高い土塀と豪壮な建築物、
城下町の防衛施設でもありました。
愛染寺鐘楼門と仁王堂は、
旧出雲街道に面しています。
棟札より1644年(正保元)の建立とか、
一間一戸の楼門、
唐破風が付く入母屋造の檜皮葺き。
仁王堂が付くのは美作地方で稀少、
主要な部材に桜を用いているとか。

愛染寺の創立は
1605年(慶長10)と伝えられ、
かつては金剛寺と称していました。
1876年(明治9)の火災で、
本堂を含め焼失したが、
愛染寺鐘楼門は東南の門とともに
延焼を免れたそうです。

"鉄砲町"として地名が残る地に、
江口鉄砲火薬店がありました。
森藩時代に鉄砲足軽屋敷が
配されていたそうで、
絵図には鉄砲者屋敷とあり、
江戸初期に城東地区にあった
鉄砲町があったときは、
西鉄砲町と呼ばれたそうです。

土手筋には大砲の練習場所があり、
吉井川対岸の着弾点までの距離から、
"五町場"とも…約540mほど。

カフェ・ギャラリーなる
Nishiima25 さん。

アートなスポットもある
津山でした。。。

津山駅からいざ岡山駅へ
