岡山県北の雄都 津山たび〜津山郷土博物館

もとは1933年(昭和8)建設の、
津山市庁舎だったという
「津田郷土博物館」。
津山城跡の南麓に聳える、
地上3階、地下1階建ての
鉄筋コンクリート造と。

津山市が発足したのは、
1929年(昭和4)2月11日、
苫田郡津山町・津山東町・
西苫田村・二宮村・院庄村、
久米郡福岡村の2町4村で合併。
当初は1874年(明治7)に
小学校の校舎として建てられた
元津山町役場を使っていたそうです。

昭和初期の典型的な官庁建築の
特徴をよく表していて、
質素の中にも役所としての
堂々とした風格を備えています。


内部中央の主階段は大理石仕上げ。


3階中央部の大きな吹抜け空間は
議場として使われていたそうです。


議場の飾り柱

中央正面に車寄を付け、
背面に議場を張り出しています。

腰に花崗岩を貼り


頂部にはスクラッチタイル貼の
パラペットを四周に巡らしています。
中央に5層の塔屋を設け
中心性を強調した左右対称の外観。

訪れた日は
「土庄町と可児市と津山」という
特別展が催されていました。
江戸時代の小豆島全体は
長らく幕府の領地だったとか。
津山藩主 松平斉民の強い働きかけで、
1838年(天保9)に現在の土庄町を
含む島の西部六ヶ村が津山藩領に。

当時の小豆島は水運の拠点、
なおかつ石材や塩、素麺、
豊かな海洋資源な…
獲得を望んだのでしょう。

郷土博物館蔵の《小豆島絵図》
南を上に描かれており、
中央に赤い線「領分境」の西側が
津山藩の領地だったそうです。

斉民は11代将軍 家斉の実子で、
津山松平家に養子入りしていました。
小豆島の獲得にあたり、
つながりが深かった
大奥を通じて願い出ています。

土庄町長浜の渦江にあった
塩田の様子を描いた絵図も、
津山郷土博物館の所蔵。
小豆島の良質な塩は、
津山へも吉井川を通じて
届けられたそうです。

津山城のことは、また改めて…


《江戸一目図屏風》も所蔵、
鍬形蕙斎が1809年(文化6)に描いた
江戸の景観図は、
巧みな遠近感と画面構成により、
実際には距離も方位も少しずつ
異なるそれぞれの部分を、
違和感を与えることなく
自然につなぎ合わせています。

玄関車寄せ前に立つ 児島高徳像、
川上音二郎ら新劇で評判となり、
高徳の名は広くに知られるように。
戦前は楠正成と同じ忠義な
さむらいとして、
教科書にもとりあげられ、
文部省唱歌にもなった人。
ただ歴史を辿れば
『太平記』には見えるのに…
研究が進んで実在の人物、
児島あたりの山伏をひきいる
忍びの頭であったとか。
江戸の景観図は、
巧みな遠近感と画面構成により、
実際には距離も方位も少しずつ
異なるそれぞれの部分を、
違和感を与えることなく
自然につなぎ合わせています。

玄関車寄せ前に立つ 児島高徳像、
川上音二郎ら新劇で評判となり、
高徳の名は広くに知られるように。
戦前は楠正成と同じ忠義な
さむらいとして、
教科書にもとりあげられ、
文部省唱歌にもなった人。
ただ歴史を辿れば
『太平記』には見えるのに…
研究が進んで実在の人物、
児島あたりの山伏をひきいる
忍びの頭であったとか。
市内にある作楽神社の祭神は、
後醍醐天皇と児島高徳で、
『太平記』から生まれた神社とか。


津山郷土博物館(旧津山市庁舎)
建築年:1933年
設計 :磯兼権蔵
構造 :鉄筋コンクリート造
地上3階地下1階建、塔屋付
登録有形文化財(建造物)
後醍醐天皇と児島高徳で、
『太平記』から生まれた神社とか。


津山郷土博物館(旧津山市庁舎)
建築年:1933年
設計 :磯兼権蔵
構造 :鉄筋コンクリート造
地上3階地下1階建、塔屋付
登録有形文化財(建造物)