岡山県北の雄都 津山たび〜津山基督教図書館


津山城の近くに立つ建物のうち、
異彩を放っている時計台を
擁している建物は、
基督教文書伝道を目的として
設立された日本唯一の
基督教公共図書館でした。

建物の設立者である森本慶三の記念館
として公開されていました。
イオニア式の壁付柱を持ち
ゲーブルを設けている
南面中央入口部はこのような構え。

ゲーブルとは破風のことで、
屋根の妻側にある三角形の壁のこと。

彫刻の意義について記念館の展示で、
このように説明されていました。
「愛の行為の審判
 新約聖書マタイ傳25章31-46節
 人の子イエス・キリスト
 栄光の座につくとき
 すべての国民をその前に集めて
 羊飼が羊(信者 善人)と
 やぎ(不信者 悪人)を分けるように、
 彼等をより分けて、
 羊を右に やぎを左におくであろう
(要解)
 この時すべての民族は行為の結果に応じて
 裁を受けるであろう。」


壁面各所の浮き彫りに特徴。

創設者は森本慶三は、
内村鑑三の門に入った人物。
設立開催式の1926年11月3日、
「世界最大の書としての聖書」と
題された内村鑑三の講演が開かれた。

1875年(明治8)に津山城下の商人 錦屋
生まれた森本慶三は、
1900年(明治33)に両親に無断で
内村鑑三に入門しようとするが、
最初は断られが両親の許可を得た上で
入門を許されたそうです。
東京帝国大学農家大学に学び、
内村鑑三が日曜日に自宅で開く
聖書講義に毎週欠かさず出席。
1901年に洗礼を受けて
キリスト教に入信しました。

森本家の屋号は錦屋、
伏見町で呉服商を営む
津山藩の御用商人でした。
先祖の森本儀太夫加藤清正の重臣、
弟一族が津山藩主 森忠政に召されて
この地に土着し商人となり、
藩主森家・松平家に仕えました。
9代 森本藤吉津山銀行頭取や
町会議員を務めた人物でした。

にしきや と染め抜かれた暖簾、
呉服商の店は1909年(明治42)まで
続けられていたそうです。

森本慶三は家業を継ぎ、
津山銀行の役員をしながら、
岡山聖書研究会の講義を
毎月続けたそうです。
内村鑑三は日露戦争に反対し、
非戦を説きましたが、
森本慶三も信仰の立場から生涯
非戦平和主義を貫きました。
森本慶三の先妻 梅代が
産後の出血多量のため32歳で逝去、
1913年(大正2)のことでしたが、
慶三は38歳、内村鑑三より
「立て、そして強くあれ、
 悲痛の撲滅剤として最も有力なるは
 "他人の為にする活動"に有之候。」とあり、
図書館建設の起因となったようです。

1917年(大正6) 内村に宛で、
キリスト教伝道のために
予算5,000円で図書館建設…
計画をすすめたいと書面を
内村に送った慶三。
その返信には
「少額に過ぎすやと考へられ候。
 土地建物は十分なりとして、
 常に新著述を購入し其維持を
 計るための設備を致し置かざれば、
 数年ならずして廃物同様になるの
 虞有之可く候。図書館の事たるや、
 一見甚だ容易なるが如く見えて
 実は大なる難事業に有之候
。」
予算は40,000円に増額、
図書館の建築へ…
ほかに10,000円を図書の
図書購入費にあてています。

建築施工者、設計者は、
弘前出身のクリスチャン 桜庭駒五郎
青森を中心にキリスト教関連施設を
残しました人物ですが、
大正末期には岡山県備前市で
香登(かかど)教会を手掛けていました。
香登教会が竣工した後も請われて
岡山に留まっていたこともあり、
引き続いて津山基督教図書館
設計・施工したものと思われます。
桜庭の設計相談者であったのが、
"秋吉台の聖者"といわれる
本間 俊平という人。
今の迎賓館である東宮御所 建設で
大理石の調査で秋吉に訪れたのを機に、
大理石の需要を拡大し、
外国に輸出できるまでに…・・
秋吉を拠点にキリスト教伝道を行い、
"秋吉台の聖者"と呼ばれた人
中田重治は日本ホーリネス教会
創始者で建築者で、
桜庭を紹介した人だとか。
錦屋の財産の多くはこれに投入、
「真理学堂」とするつもりであったが、
内村の助言により
"津山基督教図書館"と命名されました。
揮毫の立石岐という人は作州の名門…
作州発展につくした時代の先覚者で、
近代産業を発展させようと
立ち上がった豪農といわれる人。
養蚕・製糸業を振興に共之社を結成、
豪農民権の中心人物でした。
国会の最初の議員となり、
中国鉄道の建設や学校教育の推進、
キリスト教の伝導などで、
作州に大きな業績を残した人です。
この図書館の開館に先だち、
1923年(大正12)3月に
津山図書設立運動が起きていました。
公立図書館を設けようというもので、
森本慶三はキリスト教図書館とは
別に公立図書館も必要と考えで、
発起人に名を連ねていました。
津山図書館は実現しなかったので、
キリスト教専門の図書館の
予定ではあったが、
森本図書館に一般書を
多く入れるようにしていました
津山基督教図書館高等学校・
津山科学教育博物館・
津山自動車教習所などの付属施設をもち、
森本家の私有財産のすべては、
これらを包括する
学校法人津山キリスト教学園に寄付し、
森本初代館長の嗣子 森本謙三氏が
2代館長となって経営にあたっています。
皇太子殿下の行啓も再度あり、
津山市の文化センターとして、
その役割を果たしてきたのです。


津山基督教図書館(森本慶三記念館)
建築年:1926年
設計 :桜場駒五郎
構造 :木造3階建、銅板葺、塔屋付
登録有形文化財(建造物)

※このブログは 福田篤ニさんの
 を参考にしました。
 (図書館学会年報25-3 )



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