岡山県北の雄都 津山たび〜鶴山八幡宮


鶴山八幡宮はかつては、
鶴山頂上にあったそうです。
慶長年間津山城の敷地となった鶴山
鶴山八幡宮とも呼ばれてきました。

美作国は自主独立できなかった地、
室町時代は山名と赤松の守護職争い
戦国時代は尼子、浦上、毛利、
宇喜多の割拠の地

関ヶ原の戦い後も備前 岡山城主の
小早川氏の領地の一部でした。

森忠政が1603 年(慶長8)に
美作国々主に任ぜられ、
鶴山に築城されるのを機に、
いったん久米郡除山に遷座、
作陽高校がある覗山というところ。

本殿は1635年(寛永12)に
2代目藩主の 森 長継が再建、
津山藩家老編纂の『作陽誌』に、
慶長年間に造営、
南向きを東向きに改められ、
棟札に「奉再建立」とあり、
建て替えられたの記述あり。

御祭神は
誉田別尊息長足姫命玉依姫
誉田別尊応神天皇の神霊。
息長足姫命
神功皇后として知られ、
仲哀天皇 皇后、応神天皇の母。
玉依姫は、日本神話に登場する
神武天皇の母と知られる神。
社伝によれば859年(貞観元)、
宇佐八幡宮から勧請されたとか。

この辺りで雨が激しくなってきました。

拝殿の後ろには釣殿と神供所があり、
その先に"中山造"の本殿。
中山造のは津山市一宮にある
中山神社の建築様式で、
本殿の入母屋妻入造りが特徴、
美作地方独特の建築様式だとか。

屋根は出雲大社の屋根に似て、
大社建築の影響を受けているのは、
美作地方が出雲から姫路に抜ける
因幡街道の道筋にあたるからか?

彩色彫刻の施された蟇股、
向拝 柱側面の牡丹
虹梁鼻獅子の彫り物…
雨中ではっきりみえず。
津山瓦版から拝借


蟇股彫刻
三手先の斗栱(ときょう)は、
尾垂木の龍の彫刻。

末社 薬祖神社も鶴山から
移されたものだそうです。

一間社流 見世棚造
木割りが大きく、
向拝社を面取りとし、
本殿より古様の桃山様式
よく残しています。

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