岡山県北の雄都 津山たび〜津山の"ごんご"

”作州津山”の作州は
美作国(みまさかのくに)の異称。
飛鳥時代から明治初期まで
日本の律令制下で一つの国として
栄えたエリアでした。

津山市を横切る吉井川は、
明治以降に統一した名称で、
上流は奥津川から津山城下へ出ると
津山川、周匝川(すさいがわ)、
和気川(わけがわ)、吉井川、
雄神川(おがみがわ)と名を変えて…
吉井川とは、
良い川水であるようにとの願い。

津山城に立つ"ゴンちゃん"

高瀬舟を曳く"ごんご"

吉井川の津山市中で湾曲する
覗き渕には"ごんご"が棲み、
泳ぐ人の足をとって、
深みへ引き込むイタズラを
するといういい伝え。

なぜに"ごんご"と呼ばれるのか?
河童を津山地方では童を"子"とも書き、
"河子"ごうご が転じて"ごんご"と
呼ばれることになったという。

江戸時代、吉井川の水運を利用して
美作各地と備前金間を結び、
物資の大量輸送に活躍したのが
高瀬舟だったそうです。

高瀬舟の運航には営業許可証となる
船株が必要で津山藩では、
五十四瘦が輸送にあたっていました。

かつての船着場に立つ
中村汀女の歌碑
「柳散る 作の暮しの 川添ひに」
中村汀女の歌碑
「柳散る 作の暮しの 川添ひに」