太子霊場めぐりvol.1 第二番 大聖勝軍寺


2021年という年は、
聖徳太子没後1400年。
「聖徳太子1400年御遠忌」
とされています。
多くの太子ゆかりの寺院では、
行事が予定されているのです。

聖徳太子遺跡霊場というのが、
二十八ヶ所あってその二番札所、
太子堂 大聖勝軍寺に参ってきました。

聖徳太子御遺跡霊場会 というのがあり、
事務局は四天王寺にあります。
久々に朱印帳を求めて、
四天王寺でも御朱印を…
「太子遺跡霊場の御朱印」
とお願いしなければ、
寺院の独自のものとなるのです。

四天王寺の御朱印は
代表的なものだけでも
十種以上あるのです。
久々の御朱印蒐めでしたので、
こちらではじめました。

二番札所 大聖勝軍寺へ…
初めて訪れたのですが、
あまり知られていないのです。
JR久宝寺から歩いて15分ほど、
「聖徳太子古戦場」の碑、
日本書紀』にある蘇我馬子
物部守屋の合戦場と伝わる地。

太子の父 用明天皇は、
即位後1年半で崩御。
殯が明けると蘇我物部の
争いが激化します。
蘇我馬子は当時16歳の太子を
はじめこの地で合戦を…

馬子太子軍は守屋の軍勢に
三度大敗したの受けて、
「いまもし我をして
 敵に勝たしめば、
 かならずまさに護世四天王の、
 おんために寺塔を建つべし」
と。
戦いに勝ったならば四天王の
寺を建てようと誓った…
それこそが四天王寺なのです。

門前の聖徳太子と四天王像、
丁未の乱で貢献したとされる
4名が四天王に準えています。
増長天蘇我馬子多聞天に秦川勝
広目天迹見赤檮(とみのいちい)、
そして小野妹子持国天に。

「太子と四天王の由来」…
「千四百余年の昔、
 仏教伝来を巡り排仏派の反乱軍は
 仏教軍に猛攻を加え、
 太子軍は三度敗退する。
 時に御年十六歳の太子は
 部下四将軍に四天王の像を刻ましめ、
 誓願をたて排仏軍を平定する。
「いまもし我をして敵に勝たしめば、
 かならずまさに護世四天王の、
 おんために寺塔を建つべし」

【四天王寺の聖徳太子像】

乱後難波の高台に
日本仏教最始の四天王寺を建立し、
仏教公伝の礎となった
当地渋川に勝軍寺を創建、
御自身十六歳の植髪の太子像と
四天王像を安置された
と伝う。」

大聖勝軍寺の太子像の台座には、
聖徳太子遺跡霊場もぐるりと
刻まれています。

河内西国第一番、河内飛鳥第三番
でものあるのですが…
御朱印は太子遺蹟第二番
いただきました。

午前中早い時間のお参り…
境内はすでに掃き清められて
清々しい気持ちになりました。


「神妙椋樹山 大聖勝軍寺」
聖徳太子遺跡霊場第二番
 御本尊:植髪太子  納経題字:下之太子
 宗派 :高野山真言宗
 所在地:大阪府八尾市太子堂

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