太閤秀吉を辿る vol.1 大阪城豊国神社のこと


豊臣秀吉は伏見城にて62歳で
その生涯を閉じた・・・
1598年(慶長3年)のことです。
しかし、大坂夏の陣で
豊臣家が滅亡すると、
幕府によって豊国神社は破却
秀吉の廟墓も荒れるがままに
放置されてしまったのです。

もともと大坂城には豊国神社は、
存在していなかったのです。
江戸時代を通して秀吉公は、
公の舞台に現れませんでした。
再び表舞台に登場したのは、
明治元年の明治天皇による
豊国神社再興の詔勅です。

江戸幕府によって破却された
豊国神社を再興し、
秀吉の権威を復活させることは、
東照宮を始めとした
江戸の権威を貶める意図

あったようです。

当初明治政府は秀吉の墓所を
正確に認知しておらず、
大阪に豊国神社を建設せよと
命じていたようです。
いわゆる京都と大阪の間で
"太閤廟"の誘致合戦
あったと伝わっています。

明治13年になって、
現在の中央公会堂の地点、
中之島字山崎の鼻に
別格官幣社豊國神社の
別社として、
豊國神社が大阪に
創立されたのです。
こちらの鳥居には明治13年、
中之島の地から
遷宮されたものなんでしょう。

江戸時代の秀吉は「庶民の英雄」
「立身出世の英雄
」で、
どちらかと言うと判官贔屓
明治政府の顕彰方針は、
浸透していなかったようです。

秀吉顕彰の流れが変ったのは
日清戦争が分岐点だったと…
学習院教授だった森金五郎は、
「…日本が負けはせぬか、
 太閤秀吉のやうな事に
 なっては大変だ。」

朝鮮出兵へは否定的でした。
日清戦後になると…
「…秀吉の外征は偉いと云ひ、
 同じ秀吉を見るに附いて
 世人の考がズッと違って来た。」

と後に回想しているのに、
よく現れています。

秀吉顕彰は「韓国併合」で、
最高潮を迎えることに…
韓国統監 寺内正毅
歌が伝わっています。
「小早川 加藤小西が
 世にあらば 今宵の月を
 いかに見るらむ」。
寺内の部下の返歌、
「太閤を地下より
 起こし見せばやな 
 高麗やま高くのぼる日の丸」


豊臣秀吉は正一位、
贈位されたのは
1919年(大正4)のこと。

皇室尊重、海外進出を
評価しての贈位であったのです。

その後秀吉像に変化が現れる…
徳富蘇峰が語るに、
「山崎合戦の門出に
 姫路城にあった秀吉と、
 朝鮮の役の為めに
 名護屋の大本営に於ける
 秀吉とは全く別人であった。」
と。
大正時代はリベラルな言論が主流、
秀吉賛美の風潮は後退したようです。

ただ大阪における秀吉像は、
時代と一線を画していきます。
その理由は大阪市の拡大…
大阪市は合併を繰り返し、
拡大を続けていました。
「大大阪」の象徴を豊臣秀吉に
求めていくことになります。
京都豊国神社の別社であった
大阪中之島豊国神社が大正10年に、
府社として独立するのです。
仕掛け人は土肥道夫という人、
大阪商業会議所会頭でした。

大正14年には
大阪市が東京市を人口で抜き、
日本一の市になります。

大大阪博覧会が開催…
昭和3年には、
昭和天皇御大典事業として
大阪城天守閣の再建を企画。
建設費を全て市民からの寄付で
賄うなど全市民的行事に…
このことは以前ブログで
紹介したことがありました。

英雄待望の風潮の昭和に入り、
「理想の内閣」という特集で、
秀吉は内閣総理大臣とされました。

さらに注目されたキッカケが
昭和12年3月の『国体の本義』、
「…織田信長、豊臣秀吉等が
 よく事項を奏するを得たことは、
 この間の消息を物語っている。
 即ち如何なる場合にも、
 尊皇の精神は国民を動かす
 最も力強いものである。」と

日中戦争勃発後さらに秀吉は
「大陸進出の英雄」として…
吉川英治の『太閤記』連載。
秀吉が幼少時から大陸に
興味をもっていたこと、
御所の普請など勤王のエピソードが
随所に盛り込まれました。

《豊国大明神》伝狩野山楽筆

ただ…秀吉顕彰が低調になります、
防戦一方となった戦局において、
秀吉はそぐわなくなったのです。
朝鮮出兵の失敗を想起させる
「秀吉を使いづらくなった」とも。

大阪城に対峙する社碑には、
昭和38年10月 大阪褒綬会と…

同年の大阪市営観光バスのパンフ、
「ようこそ おいでやす」と。
大阪駅前に日本初の横断歩道橋が
完成したのは4月25日のこと。

大阪の賑わいを感じさせる年。

そして高度成長期へ、
豊国神社は多くのカップルを
世に送り出しました。

「豊國の 神あらたかに お導き
 街は栄える 人は活きいき」

平成に詠まれた句碑より…

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