コンクリ寺を行くTOKYO 2 増上寺


芝離宮のあとは…
芝といえば増上寺

東京・芝の
ランドマークでもある大門。
実は…この大門は東京都のずっと
管理だったそうです。
ちなみに増上寺は大門(だいもん)
わざわざ振り仮名をつけたのは、
吉原の大門(おおもん)と区別していた。
というもの明治初めの廃仏毀釈で、
多くの子院・塔頭とともに、
当時の東京府が管理していたそうです。
大門のそばに広重の増上寺境内図が、
掲げられていました。

広重
東都名所 芝神明増上寺全図

こちら原図…
伊勢神宮の江戸支社の芝大神宮、
大門、三解脱門、大殿。
都の財産目録に見当たらず、
所有者が宙に浮いていたとか。
2016年春にようやく増上寺に
返還されたのだそうです。

全図の裏には二つの浮世絵名所図。
右のは
「江戸自慢三十六興
   芝明神せうが市」

9月に開催される祭礼は、
11日続く「だらだら祭り」とも。
名物の谷中 生姜が売られたので、
別名「生姜市」とも。

左のが、
「江戸百景余興
  芝神明増上寺」

僧侶の集団と、
手前の“おのぼりさん”、
そのコントラストが面白い。
三解脱門(三門)がみえる。

三解脱門は、安政地震と関東大震災、
そして戦災と乗り越えて今に伝わる。
東京タワーの先端がシュッと。

三解脱門は、1622(元和8)年、
徳川幕府の助成により建立。
解脱門とは三つの煩悩
むさぼり、いかり、おろかさ」を
解脱する門のことで、
楼上に釈迦三尊像と十六羅漢像が
安置されています。

増上寺の大殿は、
1974年(昭和49)に再建されたもの。

こちらが寺務所である増上寺会館。
大殿の地下の宝物展示室…
ここになんと…焼失した。
台徳院殿霊廟模型」が
安置されています。
超精密でため息が出てしまいます。

台徳院殿霊廟」は、
二代将軍秀忠
御霊屋(おたまや)として、
1632年(寛永9)に、
三代将軍家光によって造営された
徳川家の最壮麗とされる霊廟、
日光東照宮のプロトタイプ

日英博覧会に出展されていたもの、
その後解体され、
英国王室コレクションに。
日本での展示公開を英国王室が
強く望んでくれたお陰で、
この地に里帰りしたものです。

増上寺御霊屋は、
1945年3月10日に北廟被災、
5月25日南廟被災で灰燼に。
徳川家墓所に残る鋳抜門は、
六代家宣である
文昭院宝塔前の中門。

葵紋、昇り龍・下り龍が
鋳抜されています。






静寛院 和宮 青銅製の宝塔

六代家宣公 宝塔

家宣公こと
文昭院殿霊廟 拝殿内部。
増上寺北廟の南半を占めていた、
こちらも戦災にて焼失。

同左右廊内部。

二代秀忠公夫妻の石塔
秀忠公宝塔は焼失したため、
正室江与殿のもので
供養されています。

こちら奥院宝塔。
1945年に焼失した、
装飾美麗であり、
当時の工芸美術の粋を
尽くしたものであった。

5代家継公 石塔。

墓所裏手にはタワーがくっきりと。

せっかくなので袂まで。




オノボリさんにはならずでした。

増上寺と東京タワー、
年越しの風景はまた格別とか。

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