明石海峡大橋と移情閣
広島弾丸ツアーの前日は実は研修会でした。
明石海峡をのぞむ
「シーサイドホテル舞子ビラ」での宿泊研修会。
集合時間までに絶景地・明石海峡大橋を臨むべく、
大汗を拭って大橋のアンカレイジ東側海岸近くに建つ
日本で唯一の孫文記念館「移情閣」を見て来ました。
地元では長らく「舞子の六角堂」として
親しまれて来た外観六角の建物です。
もともと神戸で活躍していた華商、
呉錦堂(1855~1926)の「松海別荘」が前身です。
「移情閣」という名は、孫文来訪から2年後の1915年、
呉錦堂は自らの還暦と実業界からの引退を記念して、
故郷“中国”への思いを込めてから。。
1964年、65年の台風直撃により
大きな被害を受けましたが、
その後改修資金がままならずにあったようです。
明石海峡大橋の建設に伴い、
舞子駅周辺整備で国道2号線の拡幅工事をきっかけに、
まさしく大橋とのコントラストに映えるこの地に、
移ってきたのだという。
まさしく絶景ポイント。。
明石海峡をのぞむ
「シーサイドホテル舞子ビラ」での宿泊研修会。
集合時間までに絶景地・明石海峡大橋を臨むべく、
大汗を拭って大橋のアンカレイジ東側海岸近くに建つ
日本で唯一の孫文記念館「移情閣」を見て来ました。
地元では長らく「舞子の六角堂」として
親しまれて来た外観六角の建物です。
もともと神戸で活躍していた華商、
呉錦堂(1855~1926)の「松海別荘」が前身です。
「移情閣」という名は、孫文来訪から2年後の1915年、
呉錦堂は自らの還暦と実業界からの引退を記念して、
故郷“中国”への思いを込めてから。。
1964年、65年の台風直撃により
大きな被害を受けましたが、
その後改修資金がままならずにあったようです。
明石海峡大橋の建設に伴い、
舞子駅周辺整備で国道2号線の拡幅工事をきっかけに、
まさしく大橋とのコントラストに映えるこの地に、
移ってきたのだという。
まさしく絶景ポイント。。