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山の蒼さがいい 『春を背負って』

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「 人生は徒労の連続だ 」 トヨエツ演じるゴロさんという 頼りになる山男の言葉。 物語に出てくる 「 菫小屋 」のモデル 大汝休憩所 は、 立山連峰で一番高い 大汝山(標高3015m)の頂上近くに… 前もブログったことがあったかも知れないが、 虎次郎は中高のとき学校の登山学校で、 いわゆる山小屋にお世話になったことがある。 この写真は社会人になって グループで 白馬に行った時 の… (実は紅葉の写真は 穂高の涸沢 でした) 栂池から 白馬大池山荘 から 小蓮華山から・・・ 白馬岳~杓子岳~白馬鑓ヶ岳、、 そして猿倉へと そんな予定だった。 白馬大雪渓 を下りで降りるのは、 登山経験者なら 危険とワカル から・・・ そんなルートを計画していたのだが。 小蓮華山を越えて白馬山荘へ向かうのは、 雨雲にはばまれることになったのである。 どうしようかと思案していたら・・・ 東京からのご夫婦から声を掛けてもらった。 一緒に白馬山荘に向かおうと・・・ 何人かで動けば もし何かあれば山荘にも連絡できるし、 ということで同行してもらうことになった。 横で不安な面持ちの親子と、 あわせて8人で動くことになった。 雨風が強い時は ハイマツにカラダを隠して 、 そして尾根を歩くときは風が止む間を待って。 なんとか「白馬山荘」へとたどり着いたのだが、 悪天候は収まらずに山荘に連泊… その二日目にみたご来光がコレ。 山というところでは 地上では違った人間関係 ができる。 というよりも、しっかり繋がっていないと 大自然のなかでは人間はただ無力なのである。 「一歩一歩負けないように しっかり普通に歩いていく」 どれだけの重い荷物かは人それぞれ、 重さの測り方や感じ方はそれぞれなのだと思う。 ただひたすら何か背負って、 しっかりと地面を踏みしめていけば、 きっとなにかにたどり着く。 時にはみんなが思ってる頂上でないとしても。 そしてたどり着く先は、 きっと「 自分の居場所 」なのかも知れませんね。 山崎まさよし  さんの主題歌 の 流れるエンディング、 なぜか涙が溢れた… 最近は山には登らないけど、 たくさんのモノを...

パクる風呂〜テルマエ・ロマエⅡ

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古代のローマ帝国の 浴場設計士=テルマエ技師が イマの日本のお風呂にタイムスリップ... イタく感動してその技術を もれなくパクるってのは健在でした。 このポスターも実はパクり。 虎次郎の大好きな STAR WARS なんです。 真似ることは恥ずかしいことではない。 ”まねる”は”まなぶ”に通ずるから… まぁ〜〜〜お目当ては”あやや”ですからね。 今回はにゅ〜よ〜〜くシーンもあるから。 でも阿部ちゃんとの混浴なのです(泣)(〜ω〜)  あやや 曰く ... 「この映画で混浴が はやっちゃうかもしれないですね!」 と... 古代ローマの混浴はご法度だったとか。 とにかく... 突っ込みどころは満載なのが、 この映画の魅力なのだから。  映画のサイクル激しいから... 見逃したくないので行って来ましたよん。

絵にみる和食通⑬ 高級魚はもとは庶民の味

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縦長に描かれた 長沢蘆雪 の 「鱈図」のドアップ… かつて大丸梅田店地下の食料品売り場で、 バイトしていたボクにはおなじみの魚。 棒ダラでなく生はニオイがスゴイから、 一週間も売っていたらどんなに お風呂に浸かっても カラダそのものが鱈ちゃん になってた。 「鱈図」長沢蘆雪 画 (和歌山 串本応挙芦雪館 蔵) 蘆雪の師である 円山応挙 もあんぐり口を 開いたタラの全身の図があるそうで、 応挙のは横長に描いているのだそうです。 ところで… 鱈はほとんど刺身で 食べられることはありません。 タラちりとかお鍋に入れるとか… 棒ダラなんかの干物としての 保存は、 鱈の美味しさが どこまで続くのかという ことを端的に知る保存法なのです。 魚のうまみ成分は グルタミン酸とイノシン酸 。 魚を釣り上げてすぐ〆た魚は、 身はコリコリしていて独特の歯ごたえ。 ただ味としては ほとんど無いように思えます。 理由はタンパク質が まだ分解されていないから、 しばらく時間を置くと アルカリ性の死んだ直後の魚が、 やがて乳酸を発生させて酸性になる。 普通酸性の食べ物のほうが 美味しいと感じるのです。 魚は しばらくしてから の方が 「お・い・し・い」ってこと。 「鮟鱇図」彭城百川 筆 彭城百川 (さかき ひゃくせん) と読む。 『 絵入貞徳狂歌集 』には、 独特の調理法の ”鮟鱇のつるし切り” の 挿絵があるそうなのだというが… 見つけられなかった。 『 本朝食鑑 』という 人見必大 (ひとみ ひつぜん) が著した書には、 鮟鱇が元禄時代から親しまれとある。 浜で捌かれるということは、 足が早いということ。 美食として持て囃すように好んだのは、 あの徳川光圀さんなんだそうです。 小菅桂子さんの 『 水戸黄門の食卓―元禄の食事情 (中公新書) 』 によると... 水戸独特の料理法は 共酢 (ともす) で食べたとある。 あん肝は海のフォアグラとも称され、 江戸時代の頃には「 三鳥二魚 」と呼ばれる 五大珍味の1つに数えられていたそうです。 ちなみに三鳥二魚は、 鳥=鶴、雲雀、 鷭 (バン) 、 魚=鯛、鮟鱇。 「河豚図」池大雅 筆 毒を持...

四六じちゅう〜

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四六時中 ってもともとは 「二六時中」っていわれたいたらしい。 干支の十二刻で表していた江戸時代のころ、 二☓六で十二なので丸一日のこと。 イマは二十四時間制なので4☓6。 こないだのAERAの表紙は「 新しい40歳 」。 イチロー40歳、キムタク41歳... 梨花41、千原ジュニア40、 作家の湊かなえ41、室伏広治39、 ジーター40、ディカプリオ39。 団塊ジュニア世代と呼ばれる イマのアラフォーたちは、 「反バブル。 ああはなりたくないと感じているし、 画一的な消費にアンチの立場が基本姿勢」 らしいのである。 「コスパ」や「時短」にも... 博報堂の阪本さんっていう人は、 この時代の消費傾向を 「モノを買って満足するのではなく、 生の体験に関心がある」っていう。 虎次郎はバブル世代真っ只中ですし、 欲しいもんもやりたいことも まだまだたくさんあるのですが... 何か問題あります??? 孔子が言うには 「40歳になると、 事理が明らかになって、 物事に戸惑うことがなくなる」 とか。 ず〜〜〜と迷う47ってナニやねん。 糸井重里さんは50歳になった時に、 「これからは インターネットがおもしろいと思って、 「 ほぼ日刊トイ新聞 」を立ち上げた。 ゼロになってもがいだ40歳からの 10年間がなかったら できなかったことだと思う。」と。 アナウンサーから転身した 弁護士の菊間千乃(42)さんは、 「40歳は 何が起こるかわからない、 未来にワクワクできる時である。」 振り返ると40になった時、 もう一回新たなスタイルでやろうと ちょっと踏ん張った。 いわゆる厄年を跨ぐ3年間くらいで、 力み過ぎたのか反転の日々が続いた。 その後 時間を重ねただけのように 思ってしまったこともある数年間... で40というよりも50に手も足も 突っ込みつつある年になった。 糸井さんはこうも言う。 【絶対にやりたくないことからは逃げろ】 絶対にってことって、 よくよく 踏みとどまって想いを巡らすと、 そう沢山はないのである。 止まない雨はない??? でも・・・ 降り続ける雨は雨として受け入れる 。 Little seed らくがきやせい さんのFB...

絵にみる和食通⑫ 酒でうさばらし

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司馬遼太郎 さんの作品『花神』に こんな一節ががあります。 「酒を飲まずにおれる人間は よほどの悪党だろう、といった。 感情がもたないのだ、ともいった。 一日世の中で過ごすと、 もう人への憐憫やら世間への怒りやら ときに攘夷問題についての憂悶やらで、 酒でも飲まねば夕方を迎えられない。」 「東方朔と美人図」葛飾北斎 画 (葛飾北斎美術館 蔵) でもホントにウサを晴らすならば、 美女と一緒がいい。 和服美人に酌をしてもらう至福の時... 二人の前には桃が置かれている。 杯を差し出す主は 東方朔 という人物。 桃は見立て 、 つまり桃に所以のある御仁なのである。 「東方朔捧桃図」富岡鉄斎 画 東方朔は前漢武帝に仕えた文学者、 奇行が多かったとか。。。 仙女西王母 (さいおうぼ) の桃を 盗んで食べたことで長寿を得たのだという。 「布袋と寿老の酒宴図」岩佐又兵衛 画 (福井県立美術館 蔵) まぁ〜 虎次郎の宴席 はいつもこんな感じかな... この絵は 岩佐又兵衛 (1578-1650) の筆。 芸術新潮にはこんな風に紹介されたことがあった 「父は信長に叛いた 荒木村重 。 大虐殺をからくも逃れた運命の子は、 武士を捨て絵師になった。権威を笑い、 血に執し、エロスに酔った絵師」??? 古典や故事の題材を求め、 復讐劇の長編大作絵巻などを遺した人。 ”浮世又兵衛” とよばれ、 寛永期風俗画に大きな影響を与えた人で、 大津絵の元祖ともいわています。 実は又兵衛は体毛にこだわる作者と言われる。 布袋にも独特の体毛が描かれている... ちなみに 虎次郎は腹黒い と言われるが、 腹にも胸にも毛はないのである(〜ω〜) ラストはコイツを... 「酒呑仙人図」曽我蕭白 画 (奈良県立美術館 蔵) 主題の典拠などは明らかでなく、 描かれている人物は 仙人といえる所業ではないが、 「酒呑仙人」と呼ばれている。 酒甕の栓を抜いて酒を呑む。 ここまでになると... まさに酒に呑まされるってことになる。 酒呑の上体の筆致がオモシロイ。 おそらく筆先をグルグルとしたのだけども、 蕭白は...

絵にみる和食通⑪ "食いだおれ大阪”のルーツ

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久しぶりに「 絵にみる和食通 」を... 「浪花名所図会 雑喉場魚市之図」歌川広重 画 大坂夏の陣のあった1615年に、 焦土と化した豊臣の城下町は、 幕府の市街地再建により直轄地となり、 南・北・天満の大坂三郷 が設置され、 豪商たちの活躍によって町人の手による 独自の文化が育まれました... 「浪速曽根崎図屏風」(大阪歴史博物館蔵) 架かる橋は「梅田橋」その下には、 「うなぎかばやき さけ有」 の行灯の舟。 奈良時代より夏やせ防止にと食されたが、 蒲焼きは江戸時代に完成されたものです。 大坂では市中で売られる名物だったとか... 「当地は富豪のもの多く、 奢侈(しゃし)を極めし様に思わるれども、 食飲圷(など)は 江戸のものの如きにもあらず、 諺(ことわざ)にいふ 江戸の食倒れといふもの思い合すべし」 久須美祐雋 (くすみすけよし) という 大坂町奉行に在職した祐筆の随筆 『浪花の風』の一節。 "食いだおれ”とはもともと、 江戸に用いられたのだそうだ。 ただ食文化の先を行く上方=大坂が、 "食いだおれ”のポジションになったとか... 「浪華自慢名物尽 福本すし」 長谷川貞信画 大阪城天守閣蔵 寿司といえば江戸前のように言われるが、 今では感じることは出来ないが大坂湾は 江戸湾に負けない干潟で肥沃な内海。 大阪のすしの初出は 「福島の雀ずし」 とか。 江戸は握り寿司で大坂は伝統的な押し寿司、 いまなお大阪の不動の名物 "ばってら” は、 明治になってからのものだが、 「福本すし」は心斎橋の老舗 「 本福寿司 」のことなのです。 「浪速の魁より」大阪市立図書館蔵 「浪華自慢名物尽 天満大根」 長谷川貞信画 大阪城天守閣蔵 天神橋北詰一帯にあった 天満青物市場 は、 当時の独占的な青果市場でしたが、 特に天満宮前大根は有名だったそうです。 ちなみに大根のルーツはなんと 古代エジプト 、 『日本書紀』には登場しています。 江戸後期には各地に地の大根があって、 『諸国名物大根料理秘伝抄』という 1785年(...

なごやリニア館レポ③ 電車たち...いろいろ

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GWに行ったリニア館... 新幹線のほかいろんな電車がおったので、 ちょっと間が空きましたが 「 なごやリニア館レポ 」の続きを! 展示スペースに収まりきらない車両たちは、 車両展示エリア奥の 「収蔵車両」エリアにおりました。 手前が「 クハ111系 」 奥に居る クリーム色エンジラインは「 クロ381系 」。 クハ111系は東海道本線などの 中距離輸送用として開発されたもので、 昭和60年頃までは「新性能電車」として、 輸送の一線で活躍していました。 「 伊那路 」は飯田線豊橋駅 - 飯田駅間で 今でも走ってる特急電車。 ちなみに「ク」は運転台付きで 「ハ」は普通車で「ロ」だとグリーン車。 こっちは「キハ48000形式」 最初の 「キ」はエンジンつき 車両のこと。 気動車=ディーゼル車ということなので、 非電化区間で活躍した車両ってことです。 いずれも二文字目は用途を表してます。 こいつはそれまで1両運転が常識っての、 気動車の連結運転を可能にしたヤツ。 勾配路線でのスピードアップに貢献 「キハ82系」 全国の非電化区間に特急の恩恵を もたらしたという功労者...いや功労車! 斬新な先頭車両は旅情をかりたてます。 最近はヘッドマークってのも デジタル表示になってきましたからね・・・ 「ひだ」の合掌造りの家と飛騨山脈の 絵入りヘッドマークは気動車特急では異例、 鉄道ファンの間で注目を浴びていました。 三等と赤ラインがある 「ホジ60005形式」 客室内に小さな蒸気機関車を 組み込まれた構造を持つ 現存する唯一の蒸気動車。 名前通りの「つり革」と「網棚」 ハリネズミのようなヤツ は「オヤ31形式」 針の正体は接触式センサーで、 走行しながら建築物に支障しないかを 測定する車両なんだそうです。 新たに線路を敷設したときに使用されたとか。 関西急電の「モハ52004」 。 京阪神間の急行電車として戦前に大活躍。 クリーム色に流線型の車体は貴婦人のようです。 車内もレトロで雰囲気あります!! そのカラーリングを継いだのが「117系」。 この車両が来れば 「 新快速 」って時代がありました。 ...

杜若のお庭へ〜法華寺

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杜若…かきつばた 法華寺のお庭で 凛とした姿を見せていました。 「国史跡名勝庭園特別公開」でもありました。 仙洞御所 (せんとうごしょ) から 石や庭樹、そして「杜若」も移されたお庭です。 杜若は古典園芸種の一つだそうで、 江戸時代前半には既に多くの品種が あったのだそうです。 湿地に群生するのが杜若で、 陸地にあるのは「 菖蒲 (あやめ) 」。 いつもの年ならゴールデンウイーク中が 見頃なんだそうですが、 訪れた中旬のころが まさに見頃でした(・ω・)v 蓮や椿の750種の花木・草花がある 「華楽園」 (からくえん) にもおジャマ... こちらは茅葺屋根は、 月ヶ瀬村から移築されてきた 「 光月亭 」 (こうげつてい) です。 構造上から18世紀中頃のもので、 中にはいるとヒンヤリとしていました。 いわゆる蒸風呂の「 浴室 」 (からふろ) 光明皇后が病気の人たちを、 千人の人に沐浴の功徳を積み 困窮者を救ったといわれる所以。 現在あるは1766年の再建です。 お庭には「 ミモザ 」って草木もありました。 花をつけるのは3月の頃とか... こんな感じとか... 「 奈良倶楽部通信 より」  まさに百花繚乱でございました!