京の冬の旅2022 仁和寺と北野天満宮


境内西北 一願不動がおられます。
菅原道真は大宰府に向かう途中、
仁和寺に立ち寄り、
冤罪であることを宇多上皇
訴えようとしたのですが…
あいにく宇多上皇は長い勤行中…
あせる心を抱きつつ岩に
腰を掛けて待ってたと…。

帰りを待っていたものの、
会うことができないまま大宰府へ。

お堂にある由緒によると…
現在の一条堀川の"戻り橋"が、
大洪水で流れその復旧の時、
橋下より取り出されたのがこの尊像。
心なき者が悪戯するために、
仁和寺に帰りたいとのお告げ


右大臣という異例の出世の道真、
家柄による格でなかったため、
異例の抜擢だったと伝わります。
一説には藤原家を牽制する
意味があったとも言われています。

醍醐天皇は、宇多天皇が譲位後、
藤原家からの讒言があり…太宰府へ。

北野天満宮に遺る『宮仕記録』
1688年(貞享5)8月9日には、
仁和寺第23世寛隆法親王が
北野天満宮に影向松を植えたと…
松が枯れると再び寄贈の
慣習が続いていたようです。


菅公の"腰掛石"なるものは、
全国各所にあり東大寺の守護神の
手向山八幡宮にも"腰掛石"があり、
宇多天皇のお供で参詣した、
898年(昌泰元)10月のこと…
「このたびは 幣もとりあえず 手向山
 紅葉の錦 神のまにまに」

宇多法皇は大いに驚かれ、
わざわざ仁和寺から参洛
正月の凍る夜を徹し開門を迫るも、
醍醐帝の御対面も叶わずとか。
太宰府左向縁の地への路の起点が
仁和寺であったのです。
「流れゆく われは水屑となりはてぬ
 君しがらみとなりてとどめよ」
『大鏡』に遺る菅公の歌…

時は流れて北野天満宮×仁和寺~
なるものがスタートしているとか…。
「仁和寺と北野天満宮
 -宇多法皇と菅原道真公-」
解説リーフレットの無料配布が
来る3月20日より始まるそうです。
修学旅行生のガイド役には、
立命館大学の学生が担うとか…
菅公の思いが留められます。

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