みやこの国宝への旅① 山水屏風
国宝指定日 1967.06.15
「絹本著色山水屏風」
「けんぽんちゃくしょく
せんずいびょうぶ」と読む。
山水屏風は真言宗の密教で、
仏弟子になるときの儀式=
灌頂を行なうとき、
その道場で用いられるもの。
ただ平安貴族の邸宅で
用いられたものだという…
「山水屏風」という名の屏風は、
内裏においてはポピュラーな
ものであったと知られていて、
宗教との関わりは薄かったようです。
なぜ「みやこの国宝への旅」?
7/24から始まっていた京博での
「京(みやこ)の国宝」展、
前期展示最終日に滑り込み…
京都にある国宝を綴って参ります。
唐人物のみえるのどかな閑居の風景…
庵には竹で庇が組まれ、
老隠士は獣皮の座具に膝をくずす。
漆塗りの酒壺と侍者二人、
これらの場面は白居易の山居図に
みられるシーンなのだそうです。
第3扇には、
馬から降りて老隠士を訪ねる貴公子…
第1扇には訪問を終えたらしい貴公子、
「12世紀の絵巻の名品、
信貴山縁起には視点を自在に
移動させながら破綻をきたさない
優れた空間把握の「眼」があるが、
その前提には静的な視点からの
合理的空間把握がまず必要である。
山水屏風はその前提を提供している
作品でもあるのではないだろうか」
京都国立博物館の泉武夫さんの解説。
第6扇には脱落激しいが、
江戸初期1664年の模本によると、
左手で団扇をかざした馬上の人物…
「画面外への挿話的展開の
可能性をも保持している」と。
人物の描き方は、
墨デッサンが生かされ、彩色は薄め…
これも信貴山縁起に共通します。
細かく見ると…
下書きだけで終わったとも思える
小鳥が庇上にいることに気づく。
実は卒論を
「信貴山縁起」にすると決めたとき、
ゼミ教官が博士号を得た論文に、
「やまと絵」と論じられた章、
一番目がこの「山水屏風」。
「まず山水屏風をよく見なさい」と…
ただ当の屏風は京博でも見られず、
当時はカラー図版も少なかったため、
いろんな博物館の図録を繰りました。
風景表現は唐絵(からえ)…
急峻な懸崖や高山を伴っているのが
唐絵なのだとされるが、
①突兀(とっこつ)する山々をもつ
高山という概念
②水平線的な原理で前景から後景に
移るダイナミックな景観
③垂直的要素の水平的要素を
組み合わせて谷合を形成する
この三つの要素こそ唐絵なのに…
「山水屏風」はあまりにも平山ぶり。
もうひとつの信貴山縁起への系譜…
漫然と中国画を手本としていなかった。
波の描き方も信貴山縁起の飛倉の巻、
その波状に引き継がれてるように見えます。
手元に京都国立博物館の古い図録…
「十二天画像と山水屏風」
1988年12月とあった。
卒論提出は
1988年クリスマスイブの日。
モノクロームなままに
迎えていたのか?
記憶が定かではありません。