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7月, 2008の投稿を表示しています

坂本龍馬のファシリテーター力

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6月頃に紹介した 『日本の行く道』 という本には、 明治維新という他の国に例を見ない、 時代の転換期の話を取り上げました。 ちと蘊蓄過ぎて流された方も 多いかも知れませんが。。。改めて。。。 時代が転換するときさまざまな歯車が あわさるとき軋み歪みもでてきます。 ところで、、、 最近のビジネス書やビジネス雑誌を見ると。。 「ファシリテーション力」          というのを見かけます。 人々 の活動が容易にできるよう支援し、 うまくことが運ぶように舵取りすることを言うらしく。 会議のための技法ととらえられることが多く、 狭いイミで 「ミーティングが円滑に運営されるように     働きかけること」       などと解説されることがあります。 明治維新とは裏返せば薩摩・長州の藩の 利害の折り合いの結果でもありました。 その時の選択に ファシリテーター として 活躍できたのがかの 「坂本龍馬」 だといえます。 こないだの 『日本の行く道』 でも触れましたが、 その時代の選択として、当時は外圧に対抗するため    薩長連合の実現が必然としての選択となりました。 この機会に龍馬が支持した選択は最優先事項として      薩長両勢力に関わることでした。 ややもすれば 「二股膏薬」 とも揶揄される立ち振る舞い、 そこには龍馬の良心にもとづいた、 達成イメージへの情熱と信念があったからだと思います。 ファシリテーター は英語で 「 facilitator 」 と綴られます。 日本語では「協働促進者」または「共創支援者」と      訳すのでしょうか??? 昨今のこれらの和訳はよりわかりにくく、、、 ぶっちゃけて言うと 「黒子のリーダー」 ってこと?? ただ・・・・ 黒子に徹するとか舵取りを担うって       本当に難しいですよね。 コトバがあれば協会がある時代、 日本ファシリテーション協会        なるものまであるようです。。 おしゃべりの 虎次郎 がファシリテーター になんて、、  自分サイズで行くしかありませぬが。。。 暑気払いすまぬ、、、たわごとでございます。

甲子園の夏・・・

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明日からタイガースは いわゆる 夏のロードということで、 高校球児に 甲子園を明け渡します。 今日は南大阪大会で 近大付属高校 が PLを延長で破り 最後の代表校となり、 90回記念大会の 出場校が出揃いました!! いわゆる夏の高校野球の季節は、 虎次郎 は甲子園通いの日々でもありました。 高校時代は運動部でなかった 虎次郎 でも、 やはり 「夏は日焼けしたい」 もの。。 といって観戦ばかりではお金も続きませんので、 売り子のバイトをしていました!! 虎次郎 は 三ツ矢サイダー 専門でしたが、 ビールの売り子は完全歩合制です。 時給ではなく、売り上げに応じて、、、 最近の球場の売り子は女の子が多く、 ビールやチューハイなんかは 女の子がほとんどです。 基本的には 野球の好きな人だからできるバイト です。 試合の流れがわかっている子は、 おっちゃんがビールが欲しがる タイミングを知っていますし、 ついつい客としてはリピートしたくなる       売り子が出来て来ます。 実は昨日はチケットを もっていながら、 いわゆる夏バテで 甲子園に 行けませんでした。 こんなことは はじめてです。。 ところで リニューアル甲子園で ずいぶんと内野指定席、 アイビーシートは 快適になりました。 今秋は アルプスと外野の席も 新調されるそうです。 球場前に置かれている 新モデルの座席。。 座ってみましたけど、 お尻のところに 凹みがあって。。。 下にはモノが 置けるような スペースが作られています。 そういえば今日は 試合中に照明灯の一部が 消えてしまって 試合が中断していました。 その照明塔も リニューアルによって 大きく変わるようです。 4本脚の照明塔の脚が 支障となっている部分が 解消されて 見やすく スッキリするようです。 銀傘の鉄柱もなくなり 視界良好の 観戦が 楽しめるとのこと。 パワーアップする甲子園の前に、 これまでの風景を楽しんでおきたいものです!!

賢治と絵本原画の世界

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神戸の大丸ミュージアムで 「絵で読む 宮沢賢治展  ―賢治と絵本原画の世界―」 が  夏休みの終わりごろからスタートします。。 宮沢 賢治 といえば 『銀河鉄道の夜』 を 挙げる 虎次郎 ですが、、 実は生前に出版されたのは、 『春と修羅』 と 『注文の多い料理店』 の、       わずか2冊のみ・・・・・ なくなられた後のいわゆる 「没後評価」 で、  多くの作品に多くの画家がの絵とあわさって、 創造力がより刺激され多くのシーンが描かれました。 絵柄によって物語の印象は変わるものですが。。 絵画作品としても面白い作品がならぶようです。 スズキコージ 「オツベルと象」  1993年、  くもん出版 和田誠 「注文の多い料理店」   2004年、   岩崎書店  賢治 の作品は童話でありますが、 決して 「ちゃん向け」 の児童文学ではありません。 幅広い年齢層に人気があるのは、 さまざまな生き物、時には 「モノ」 や 「現象」 にまで  その息吹を感じさせるところに理由が        潜んでいるのだと思います。 ところで、、、賢治 の作品に 「月夜のでんしんばしら」  というの知っていますか?  「ド ッ テ テ ド ッ テ テ ド ッ テ テ ド   で ん し ん ば し ら の ぐ ん た い は   は や さ せ か い に た ぐ ひ な し   ド ッ テ テ ド ッ テ テ ド ッ テ テ ド   で ん し ん ば し ら の ぐ ん た い は   き り つ せ か い に な ら び な し」 童話の世界の軍歌、、 ちょっと今の時代からすると違和感があります。 電信柱を軍隊のように見立てたのは 面白い着目ですが、 レーニン時代の社会主義の イメージを思わせます。 ロシア帝国はシベリヤに電信柱を走らせ、 その気候風土さえ操ろうと 真剣に考えていたことがあったようです。 宮沢 賢治 の研究家がいうに 思想の変化を感じさせる作品と  位置付けられています。 話がややこしくなってきました。。 うまく話がまとめられないので、 挿し絵の話にもどります。 こちらは、 虎次郎 が持っている 『宮沢賢治の魅力』 長岡輝子さんの 朗読の ジャケットです!! 童話らしい かわいら

荒々しい神の祭

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天神祭の中心は 「御鳳輩 (ごほうれん) 」 です。 江戸時代に描かれた天神祭には、 「鳳神輿」 と 「玉神輿」 は見えますが、 「御鳳輩」はどこにもありません。  月岡 雪鼎 「天神祭図」(部分)     奥が 「 鳳神輿 」 手前が 「 玉神輿 」       実は「御鳳輩」は明治初年から登場したもので、 神仏分離政策 の結果によるものです。 神仏分離政策 とは、、 僧侶の神事への関与を禁じたもの。 もともと天神祭の中心であった 「鳳神輿」には 天神様 が、 「玉神輿」には 法性坊尊意である 天台座主 (ざす)が  お乗りになる慣わしだったようです。 天台宗という仏教の僧が 天神祭という神事に 関わること、、     明治に入り終わりを告げました。 もともと天神様とは荒々しい神、 「荒ぶる神」 ですので、 もしものときに それに 対抗できうる法力を持つ 尊意の力を必要にしたどだと。。 「荒ぶる天神」を鎮めるのが「玉神輿」の役目 でありました。 代わって「玉神輿」には 手力雄命 (たぢからおのみこと)が       「鳳神輿」には 野見宿禰 (のみのすくね)が              お乗りになられるようになりました。。。 手力雄命 はあの 天の岩戸 を開いた強力の神。 野見宿禰 は御前相撲で 当麻蹴速(たいまのけはや)という    力持ちを投げ飛ばした 天神様の祖先だと言われています。 いずれにしも強力無双な神を戴くことになったようです。            荒々しい神の祭、、 今年は 「神鉾」 と 「鳳神輿」 の大改修がすまされ、 大川に燦然と輝く 「鉾」 と 「鳳」 の       勇姿が見られることと思います。 月岡 雪鼎 (つきおか せってい) とは???    江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本画家。   京都生まれ。1775年、大坂浪華塩町の心斎橋に移住していたという。   はじめ高田敬輔に狩野派を学ぶが、   のち西川祐信風の肉筆浮世絵美人画で名をなした 。

お猿さんは「アースノーマット」

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絵巻物にはいろいろな動物が描かれていますが、 一番多く描かれているのは間違いなく 「馬」 。 合戦絵巻など武者が描かれる場面に馬は付きものだし、 いわゆる人力以外で頼っていたのは馬力なので、            当然のことかもしれません。 実はその馬に関係の深いのが 「猿」 。 厩の前には、首に紐を括り付けられた 猿の姿がたびたび登場する。 これは、猿には馬を病気やけがから守る  霊力があると信じられていたことに由来するらしく、 中国地方では、 厩の柱に猿の頭蓋骨やミイラ化した腕をかけて、  牛馬のお守りとしている所もあったようです。    「猿の護符」 兵庫県金光寺跡で出土したもの 昭和初期まで農村で飼われる馬の鞍に 張るのは 猿の毛皮 であったり、 馬と猿との関わりは深かった。 厩のそばには  蚤取りを得意とする猿  をおくことで、 厩の虫害を防いでいたということ。 まさしくお猿さんは今で言う 「アースノーマット」 の   役割を果たしていた てな話でござりました。。(・ω・)v 『一遍聖絵』  歓喜光寺本 第十巻 の 「備後国一の宮」の吉備津神社の門前の厩に猿

夕涼み

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猛暑日が続く毎日。。 日が陰っても温度が下がることがありません。 地球温暖化ストップと言っても、 正直 冷房を止めて寝ると朝はビッショリ。。 「夕涼み」 という言葉は今や隔世の感があります。 虎次郎 の近くのお祭りはこの7月19日と20日に 行なわれています。 暑い日中に子どもみこしで練り歩いた30年前から、 するとなかなかお世話をいただく大人も少なくなり、 でも大阪市内でも20年ほど前まで夜店が出ていた 元下町なのでなんとか支えていただいているようです。 京都の祇園祭も終わりましたが、 京の 「夕涼み」 といえば 鴨川納涼床 です。 浮世絵は 安藤 広重 の京都名所の内   「四条河原夕涼」 です。 5月の床を   「皐月床」 6月から8月が 「本床」 9月は     「名残の床」 と呼ばれています。 江戸時代に裕福な商人が夏に遠来の客を   もてなすのに五条河原付近の浅瀬に 床几を置いたのがはじまりです。 河原町の賑わいはその 川床がはじまり だとも言えます。 納涼床が楽しめるのは今や75店舗。 京料理にかぎらずフランス料理、 喫茶店形式のもあります。。 虎次郎 のオススメは南座と四条大橋を眺める 昔ながらの味を頑なに受け継いだ伝統の すき焼 「かのこ」 さん。。 予算は1人5,000円くらい。 美味しい すき焼き 、、 そして通なら大根おろしで楽しむ 「オイル焼き」 ってのもグーです。 「かのこ」  Tel. 075-351-0709       京都市下京区西石垣通四条下ル       17:00〜22:00(入店/21:00)       水曜休    予約不要

法隆寺の「美の再生」に立つ!!

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奈良国立博物館に 出現した 奈良・法隆寺の 「仮想金堂」   ついに!! 見て来ました。 平日にお休みをもらって。。。 (といっても いつぞやの振休ですがね) かつては限られた高僧しか入堂できなかった  日本最古の四天王像をとりまく内陣は、 1949年の火災で焼損した壁画も  飛鳥の像を取り囲んでいたそうです。 法隆寺金堂壁画は 1967年から    68年にかけて、 日本屈指の画家たちの 「ただ写しとる」という 美の再生の挑戦  でもありました! 手がけたのは 前田 青邨 氏 や 平山 郁夫 氏らの   巨匠たち。 四天王は仏教での世界観の中心にそびえる 「須弥山」という山で東西南北の守る存在。 四天王は守護神でもあり四神の姿とも言えます。 法隆寺の四天王は鎌倉時代にみられる後世の四天王と 異彩を放つ存在で、その姿や表情が異なっています。 聖徳太子が草々したとされる 「十七条憲法」の一番目には 「和を以って貴(たっと)しとし」とあり、 仏教の教えを広めることで裏切りと内乱の時代を なんとかしようという気持ちがこめられていた  のではないかとも言われています。 法隆寺の四天王像のかたちには、  畏敬のカタチでない  文人の姿をあらわしたのだと。  チカラで威圧しないマツリゴトを   目指した聖徳太子の想いが現れている。 そう思ってみて見ると平和を願う眼差しを  感じ入ることができました!!(・ω・)v 7月6日に放映された「新日曜美術館」のなかでの、 奈良国立博物館 学芸部部長補佐 である 岩田茂樹さんと仏師の 松本明慶さんの話を  耳にしていたので、 中学校以来の四天王との再会。。。  新たな印象を受けました!(・ω・)v 今日の奈良は本当に暑かったです!! 入道雲が辛抱できずに雨を降らせていました。 近鉄奈良駅から博物館までの道すがら、 ペットボトルの麦茶は 片道で空になってしまいました!! 近鉄奈良駅の スタバで、、 ザクロピーチ フラペチーノとやらを 飲みました!! ザクロ と ブラックアイスティー の 組み合わせなんだそうで、 なかなか グー でした!!

「古池や 蛙飛込む 水のおと」

「古池や 蛙飛込む 水のおと」   俳諧のヒットメーカーである 誰もが知る 松尾 芭蕉 の有名な句です。 この句は 1686年の芭蕉43歳のときに出した句集 『蛙合わせ』 の冒頭を飾る句です。 芭蕉は京都、奈良、伊勢の 当時の交通の要衝であった   伊賀上野 の地に生をうけています。 文化の交流の場所であった当時の伊賀上野は、 笑いと機知に富んだ句を仲間内で楽しむ 「俳諧」 という人的交流が盛んでした。 芭蕉の生家は、 格式は武士に準じながら 生計は農業で立てる身分でしたが、 13歳の時に「蝉吟(せんぎん)」という 俳号を持つ 地元の上級藩士 藤堂 良忠 (とうどう よしただ)に士官することを  きっかけに俳諧の道に進んだようです。 ところで 「俳諧」 のことばの諧とは、 諧謔 (かいぎゃく)という言葉から来ています。 諧謔とはユーモアとか冗談という意味。 当時の 「俳諧」 はいまだ   芸術の域に達してはいませんでした。 身分を超えてつきあう リベラルな場 が     「俳諧」 でありましたが、 身分や肩書きを外して お互いの立場を言いあう場であったことが、 芸術的な評価を受けるに至りませんでした。 長くなりました 「古池や 蛙飛込む 水のおと」   の句の話に入ります。 芭蕉が江戸に出て 「俳諧師」 として生きてきて、 富裕な町人たちに俳諧を教えるなかで、 ただのコトバ遊びではないかと疑問を感じたようです。 芭蕉の41歳にいたり 西国への旅に赴くことになります。 紀行文の 「野ざらし紀行」 の 野ざらし とは 髑髏(しゃれこうべ)のこと。 白骨になることも覚悟しての 悲壮な決意の旅でもありました。 言葉のなかに情景を描けないかと、 芭蕉はこの旅で感じたようです。 蛙といえば鳴くことがいわゆる決まりごと、 そして蛙には 「山吹」 がセットでもありました。 古池や・・・の句は 其角 さん は「古池」の句の上五を  「山吹や」とされると思っていたようです。 古今集の 「蛙なく 井手の山吹 ちりにけり  花のさかりに あはましものを」  から来るお決まりから連想したとされるのが、  後の研究者たちの定説になっています。 カエルを鳴かさせず  伝統を無視し飛ばせた芭蕉。 「古池や 蛙飛込む 水のおと」 の句。 この句にはさまざまな情景に想いを 馳せさせるチカラを持っ

前田 寛治 さんの絵を見て来ました!

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       「メーデー」1924年頃 個人蔵 大阪市出身の 佐伯 祐三さん とゆかりが深い、 前田 寛治さん の 大阪初の展覧会に行って来ました。 33歳という若さで絶筆となった 前田さん ですが、 昭和初めの洋画壇に大きな足跡を残されています。 展覧会の中で 虎次郎 郎が一番気に入ったのは、 この 「メーデー」 という作品。 昭和洋画壇を支えた、 佐伯 祐三さん、里見 勝蔵さん、中山 巍さんらの 青年画家たちがパリ留学されていた頃の、 キュビズムなどの前衛に触れていた頃の作品です。 労働者の姿や工場の内部を描いていた頃の作風が、 虎次郎 は一番気に入りました。 なかでもこの 「メーデー」 は 当時の労働者のエネルギッシュさが      伝わって来ます。 日本でもいわゆるメーデーデモはありましたが、 雇用の多様化とやらで格差社会が生じた結果なのか、 いわゆる <メーデー> も様変わり。 ある意味この 「メーデー」 のエネルギッシュさを  なくしてしまった時代。 そのことが <時代の閉塞感> を  生み出しているのかもしれませんね。 「二人の労働者」  1923年  大原美術館 蔵 前田さん の作品の話に戻ります。 「メーデー」 や 「二人の労働者」 などの作品に 対峙して クールベ、アングルなどといった 古典的表現に果敢に取り組んでおられました。 「対象と画風に統一性がないようにも思えますが、        これが寛治の世界なんです」 鳥取県立博物館の 学芸員 竹氏 倫子さん は  こう話されています。 作風という枠をこえた 「探究心の画家」 前田 寛治さん をあらわすとすれば その言葉がふさわしいのだと思います。 竹氏 倫子さん はこうも言われます。 「時代の最先端を走ったインテリ青年。  だから、キリスト教や共産主義など  当時の新しい思想に正面から向き合い、          感じ取っていた。」 鳥取県に生まれた彼の作品は 鳥取県立博物館や大原美術館などに        多くの作品があります。 「特別展  前田寛治のパリ」 は、 大阪市立近代美術館(仮称)  心斎橋展示室 で、、、 8月3日(日)    までやってます。 都会の喧噪のなか じっくりと彼を 探求してみては  いかがでしょう・

南海進出???

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ついに 南海電車デビュー      しました!!     門 純 ついに 南海沿線に下って来ました。 門谷純☆kado10n『電車女』 中百舌鳥。。。 でも、、いや2曲歌たったところで 集まってくれはる客層もなかなか感じよく。 2曲で8枚もならんでくれはったんですが。。。 CDサイン中に 紺色ストップ ・・・・ その後 堺東 へ、、そこでも難しかったらしく。 つい先ほど 難波 に辿り着いたとか・・・ 久々の 門純のナマウタ 。 土曜の昼下がり 足を伸ばした甲斐がありました!!   門谷純のアトム日記  

野球場へゆこう

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 野 球 場 へ ゆ こ う これは NPB こと日本野球機構の オフィシャルソングの題名でもあります。 今年のオールスターは 第1戦は7月31日(木)    京セラドーム大阪 第2戦は8月 1日(金)    横浜スタヂアム   で行なわれます!! 野球マニア??の 虎次郎 は     じっとしれられない。。 誘われるかのように・・・ チケット先行発売にエントリー。。 なんと第1戦の京セラD のチケットをゲット!! 行く席は B指定席 なんですが、企画チケットで その名も 「野球場へゆこうシート」 です! 『野球場へゆこう』のCD付きシートで、 このオールスターで始めて採用される 「プラクティスユニ フォーム」    が当たるチャンスも・・・ 新井のがほしいなーーー なんて、 31名しか当たらない ので奇跡的に???かも? 「プラクティスユニ フォーム」 ってのは、 MLBなんかで良くホームラン競争の時に着てる AMERICAN と NATIONAL のユニを真似たもの。 セ ・ パ それぞれのイメージカラーである グリーン と ブルー  連名旗の色に合わせたユニフォーム。 今から楽しみです!!(・ω・)v

原油急騰のおりお風呂屋さんも大変。

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マイカー通勤をする虎次郎、、、 ここのところガソリン代値上げ。。 本当に困っとります・・・ ニュースでも紹介されていますが、 その煽りを受けて自家用車の数が減っていて、 一時期に比べて10分くらい早くに職場に        到着します。 いわゆる重油を燃料にしている風呂屋さんへの 原油高騰は拍車をかけています。 おそらくサウナも含めていわゆるスーパー銭湯でも よほどの湯温がなければ燃料代はパカになりませんし、 いわゆるリストラが始まるかも知れません。 おおさかくらしの今昔館 で忠実に 復元された風呂屋 天神湯の内部。 正面に柘榴(ざくろ)口、 右に脱衣箱、左に高座。 実はこの 「風呂屋のリストラ」 、 江戸時代の大坂でも起きていたようです。 江戸には一町に一軒の湯屋があったと言われますが、 大坂は六〜八町に一軒の湯屋しかなかったようです。 これは当時の大坂が江戸に負けない経済力を持っていたからで、 各家で風呂をもついわゆる 「内風呂」 が浸透していたことを示しています。 各家で風呂を持つことは、 燃料をいかに確保するかにかかっていました。 江戸の湯屋は廃材を使っていたようですが、 浪花の湯は薪が燃料として使われていました。 リッチだった頃の大阪、、 値段が上がっているだけの   今とはチト違いますね。 風呂屋ネタなので、、、もうひとつ、 実は 虎次郎 の家の隣は中学生の頃まで お風呂屋さんでした。。。 その名も 「伏見温泉」 !! 小学校の頃はお風呂屋さんの前が 集団登校の集合場所でもありました。 小さい頃なのであまり興味がありませんでしたが、 虎次郎 のウチの物干し台からは    女湯が見えました!! いわゆる 覗き見スポット やったようで、、 壁伝いに モンスターマンばりに     這い上がって来る 奴さんも しばしば。。。 でも物干し台で待ち伏せしておいて、 見えるその一歩手前でホースで水をかけていました。 路地から血みどろになった奴さんが、、 バツ悪そうに出て来ていました。。。 古き良き時代??のワンシーン。    思い出されます。。

ロケットスニーカーを履くとき。。。

大塚愛さんの  『ロケットスニーカー』には、 「♪ 地球から ステップ踏んで    軽くして 浮いている     HA ここにいる    好きな物 増やして    好きな景色を 見ている         HA 」    っていうフレーズがあります!! それと ロケットスニーカー って       地球号 なんだとか。。。 Online Videos by Veoh.com 大塚愛さんのブログに 「もしも ロケットスニーカー 履いたなら  高い空から どこを見よう  きっと 私の 生きている その場所 と  大事なあなたが 生きている場所  きっと 喜びも そこから見れば   私だけの ちっぽけな喜び  きっと 悩みも ちっぽけにしか 見えない  でも 苦しいから   とても つらいから  それでいいんだ  あたりまえだ  幸せを探している途中なんだから  大丈夫  生きていれば  見つかる」              ってありました。 せちがらい世の中。。 洞爺湖でサミットをやってはりますが、 ちっぽけな存在の人間ひとりひとり。。 主張は違うけれど、  くれぐれも戦争だけはご勘弁を!! 戦争が一番の環境破壊です エラーい人たち頼んますよ!!   (・ω・)v (・ω・)v

7月7日に向けて・・・

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7月7日に向けて・・・ 今年も心斎橋では 「心斎橋ゆかたモードコンテスト」 やるとか、  心斎橋商店街に七夕飾りが見られます!! 本当に暑い日が続いていますね。 虎次郎は連日の猛暑のなか、、、 職場の大改修工事で ジャージ姿 で いる時間の方が   多くなっております。 汗が出て、、目にしみる。 オフィスは冷房を入れているのですが、 温度変化に対応できず。。。 「はくしょん!!」 すると。。。 「鼻がモゾモゾしただけや」 と・・・ 間髪入れず コメントしておかないとエコとやらで、  温度を下げられかねない。   ンーーだめ。。 話は少し逸れて行きますが・・・ 7月7日の七夕って、  田植えが終わって野良仕事も一段落、 彦星と織り姫が出逢うっていうのは、   実は 夏の夜の若い男女の交わりを許す日             でも あったようです。。 グーグルっていたら、 愛知県の岡崎市のホームページに 「勤労者男女交流    七夕カップリングパーティー 」            ってのがありました。 それにしてもこの暑さ、、、  七夕の夜も ただただ・・ アイスノンが手放せない虎次郎(・ω・)v 手塚山通信の七夕関連ブログ ←2007/06/11 「五色の短冊。。その昔は梶の葉で!!」のブログへ ←2006/07/07 「今晩 逢えますやろか?? 」のブログへ ←2006/07/03 「ホシは何でも知っている!! 」のブログへ ←2006/06/30 「おりひめ」と「ひこぼし」のブログへ