教科書から消えた唱歌『われは海の子』

明治14年、東京芸術大学音楽学部の前身である
「音楽取調係(とりしらべかかり)」というところが、
小学校の授業に初めて用いる
 官製唱歌集「小学校唱歌集」を編纂から、
<<唱歌>>のルーツがあります。

歌詞がはっきりと思い出せないけど、
なんとなく口ずさむ歌、それが唱歌ですね。


唱歌は教科書に載っていたものだけに、
日本で初等教育を受けた人たちはみんな、
口ずさむことができましたが、
その唱歌のうち
「教科書から消えた唱歌たち」
があります。



夏といえば
『われは海の子』
を思い出すかも知れませんが、

後半の部分はGHQ(連合軍総司令部)主導によって、
軍事色、皇国史観に根付くと思われるような部分は、
       唄われなくなりました。


♪丈余(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
 行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、
 百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底
 遊びなれたる庭広し。

♪幾年(いくとせ)ここにきたえたる
 鉄より堅(かた)きかいなあり。
 吹く塩風(しおかぜ)に黒みたる
 はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。

♪浪にただよう氷山(ひょうざん)
 来(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
 海まき上(あ)ぐるたつまきも
 起(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。

♪いで大船(おおふね)に乗出して
 我は拾わん海の富
 いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
 我は護(まも)らん海の国


って感じです。。。
第二次大戦後も、
多くの音楽教科書に採用されたんですが
       ほとんどが3番まで。
ついには1985年(昭和60年
をもって、
すべての音楽教科書から消えました。

以下よく唄われる1番から3番までです。


♪我は海の子白浪(しらなみ)
 さわぐいそべの松原に、
 煙(けむり)たなびくとまやこそ
 我がなつかしき住家(すみか)なれ。

♪生れてしおに浴(ゆあみ)して
 浪(なみ)を子守の歌と聞き、
 千里(せんり)寄せくる海の気(き)
 吸(す)いてわらべとなりにけり。

♪高く鼻つくいその香(か)
 不断(ふだん)の花のかおりあり。
 なぎさの松に吹く風を
 いみじき楽(がく)と我は聞く。



この『われは海の子』は、
明治15年(1882)鹿児島市で生まれの 宮原 晃一郎 さんの作詞です。
宮原 さんの遺族の方が、保管していた文部省からの入選通知と
著作権譲渡要請状を新聞に公表されたのを機会に、
作詞は宮原 晃一郎 さん ただしコピーライトフリーって
 ことになっているそうです。。

詩に描かれた海の光景は、宮原 さんの生地 鹿児島湾がモデルだとか。
現在、桜島を望む祇園の洲公園に

『われは海の子』の歌碑が建っているんだそうです。

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