虎次郎の表参道探検!1> 岡本太郎記念館

東京の表参道にある
  「 岡本太郎記念館 」
    に行ってきました。














ここは、あの 『 太陽の塔 』を造った
岡本 太郎 さん のアトリエ兼住居だったところです。
旧居は戦災で焼失したそうですが、
岡本 一平・かの子・太郎 の一家が永く暮らし、
一家でヨーロッパへ旅立ったのもこの地だったとそうです。

この記念館は、岡本 太郎 さん の妻 岡本 敏子さんが、
 
「岡本太郎を次の時代に伝えたい。」という彼女の願いで、
 運営されて来たそうです。
ただ、2005年4月20日にお亡くなりになりました。
 「記念館の空気をつくり、すべてのものを動かしてきた」
 
とのこと、館長の 平野 暁臣 さんは、
 記念館HPでこれからの運営をこのように話されています。


  「もう彼女はいません。
   そして、だれも彼女の代わりをすることはできません。
   岡本敏子が去ったいま、
   ぼくたちは次のステージを目指さなければならないのです。
   新しい記念館をつくる取り組みをはじめました。
   第一段はゲストキュレーターによる企画展のシリーズ。
   岡本太郎を語るに相応しい方々に
   企画展示のキュレーションをお願いし、
   自由に太郎と遊んでもらうのです。」
       (記念館HP 「新しい記念館のはじまりです」より)

記念館で
TARO MONEY なるものを、
  ゲットしました。


















岡本 太郎 さん 『 太陽の塔 』とほぼ同時期に
 描いた『 明日の神話 』の再生プロジェクトのひとつが、
  TARO MONEY なんだそうです。
『 太陽の塔 』が彫られているコインだったので、
           当然ゲットしました!!!

岡本 敏子さんは、
「『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、
 岡本太郎の最大、最高の傑作である。」

       と言われていたそうです。

メキシコの実業家から
 「新築ホテルのロビーを飾るための壁画を描いてほしい」
  という依頼を受けた岡本太郎さんが、
  現地に何度も足を運んで完成させました。
しかし、依頼主の経営状況が悪化したことで
 ホテルは未完成のまま放置されることになり、
 『 明日の神話 』もロビーから取り外されて
  永らく行方がわからなくなっていたようです。












彼女の必死の捜索のお陰で、
2003年9月、メキシコシティ郊外の資材置き場で発見。

その後  『 明日の神話 』の再生プロジェクトにつながっています。

とにかく 虎次郎
     『太陽の塔』が好きなんですよ!!


新幹線で東京から帰ってくると、
 京都の東寺を見ると
「ああ!戻って来たんや」と思います。
名神高速で吹田ジャンクションを巡ると、
  『太陽の塔』が「お帰りなさい」と
 いつも大きく手を
 広げているように思えます。

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