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ベリバのラバーダック2012

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今年もラバーダックの季節がやって来た。 明日から行われる 水都大阪フェス2012 のプレイベントでもある ベイ&リバーサイドパーティOSAKA2012 の、 「 名村造船所大阪工場跡地 」エリアへ。。。 立地的に少々不便なこともあって程よい混み具合で、 ラバーダックの棲家でもあるから表情に余裕か? そしてこちらは「空島プロジェクト」  in  北加賀屋クリエイティブファーム 透明な風船に収穫物などを「その場の空気」と 共に封じ込めて…「北加賀屋の空島」として 出現させるアートプロジェクトなんだとか。 ラバーダックといえばレプリカだが… 諸般の事情で入荷が遅れている とかで、 レプリカ引換券での販売だったので、 「災い転じて福となす」?? まだ手元には無いのだけども。 今年もゲットしたのです!! で…今日は「イヤホンジャックカバー」と 「かさステッカー」をゲット 「 かさステッカー 」はビニ傘に内側から貼って… こんな感じになるそうです(・ω・)v iPhone待受も変えました!! 「世界の緊張を和らげる  癒しの特性を持つアヒルちゃん」 今晩中に川を上るのだろうか?? 明日からは 中之島のばら園 そばでぷか〜〜〜です。

司馬遼太郎を感じる場所

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東大阪市下小阪にある「 司馬遼太郎記念館 」、 安藤忠雄 さん設計の「 大書架 」を見上げてきた。 「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、  かすかな光の空間のイメージ」しているとか。 この建物を設計するときまず一番に考えたのが、 大量の蔵書の存在だったらしい。 自宅の玄関、廊下、書斎、書庫などの 書棚に収まっていた約6万冊の 蔵書世界をどう体現できるか… うち2万冊たちが私たちを圧倒させる。 展示室の一番奥の 天井のコンクリートにシミ 、 それがどことなく 坂本龍馬 に似ているって… 太陽の光が時間と季節の中で変化する、 その移ろいを楽しむのに ここちよい空間が広がっていました。 書斎に面している庭は、 司馬遼太郎さんが好きだっという 「雑木林」が広がる。 クス、シイ、クヌギ、ヤマモモ、エゴノキ… 執筆の合間に休憩したり資料を読んだ ソファーから四季の移ろいを感じていた。 文才のない虎次郎も秋の陽射しを感じながら… カフェでサンドイッチセットを! 食い気優先なのである。 そして... ミュージアムショップで手に入れた 「菜の花の種」のついた絵はがき。 命日である2月12日は「 菜の花忌 」で、 館内をはじめ街角を彩るのだそうです。

奈良 天極堂の葛三昧!!

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虎次郎の大好きなもの「 葛きり 」。 お鍋にいれるのではなく冷たくして 黒蜜にくぐらせる... 転害門をあとにして、 吉野本葛の「 天極堂 」奈良本店を訪れた。 お昼のランチには 「 葛とじごはん 」ってのもあったけど、 熱々のあんかけものはちょっと苦手な 猫舌虎次郎は「 冷やし葛うどんセット 」をセレクト!! 小麦粉に吉野本葛が練りこまれていて、 「うどん」のようでもあり「きしめん」にも通ず。 いやいやこれは独自の食感なり。 そして、胡麻豆腐には葛餡がかかる。 セットというのは・・・ 食べ終わるのを見計らって〜〜 黒蜜ときな粉がかかる とろとろの「 葛もち 」が登場! 温かいうちに食べるからホント美味しい!! そしておみやげを... 「 お菓子用 くずきり 」と「吉野本葛 葛もち」。

取りあへず手向山 転害会②

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「転害会」という名前は大仏殿の西北にある 「転害門」が祭礼のお旅所 に なっていることに由来するそうです。 大仏殿からみて吉祥の位置で「 害を転ずる意 」から 転害門とも呼ばれるようになったそうです。 東大寺の創建時の姿をとどめる唯一の「八脚門」で、 なんと 国宝に指定 されています。 元の平城左京一条大路に西面して建立されていて、 当時は「佐保路門」との名が付けられていました。 11:30から祭礼はスタートしました。 寺の門に大注連縄が架けられていて... そして門前に獅子頭がふたつ。 まさに「 神仏混交の祭礼 」です。 注連縄は4年ごとに 現在も川上町の有志の方々により、 架け替えが行われるそうです。

勧進所 八幡殿 僧形八幡神坐像

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8月にあった 「頼朝と重源展」 でお会いした 「僧形八幡神坐像」はもともと「転害会」のときに、 年一回だけ開帳される秘仏。 国宝 僧形八幡神坐像(奈良・東大寺) 彩色があざやかであるのは、 秘仏であるが故の貴さを示す。 もともと現在の「 手向山八幡神社 」である 東大寺の鎮守八幡宮の御神体であったが、 明治初年の神仏分離・廃仏毀釈により、 東大寺に移されたものなのである。 もともと鎮守八幡宮にあった御神体は、 平氏の焼き討ちにより炎上したが、 重源上人により再興されたのが この「 僧形八幡神坐像 」。 勧進所 八幡殿 「八幡神は大分県の宇佐神宮を本源とする  国家鎮護、寺院鎮守、武門隆盛などの神で、  京都南方に岩清水八幡宮、  鎌倉に鶴ヶ岡八幡宮が営まれた。  主祭神は応神天皇。全国津々浦々に鎮座し、  その数は一説に4万を超えるとされる。」 (朝日新聞「奈良には古き仏たち 僧形八幡神 東大寺・八幡殿」より) 重源上人は京都・鳥羽の仏院にあった伝 空海 筆の 八幡神画像を希望したのだが、 画像は元所有の京都・ 神護寺 から下らなかったとか… これに立腹した重源が秘かに写した彫像を 快慶に造らせたとの逸話が残る。 まさに出生から秘めたる存在… 再び見えることができた(・ω・)v 勧進所の毬栗 「秋風の吹けども青し栗の毬 芭蕉」

勧進所 阿弥陀堂 五刧思惟阿弥陀如来

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「 五刧思惟阿弥陀如来 」 「ごこうしいあみだにょらい」と読む。 「劫」は古代インドの長い年数の単位で、 一説には1劫は43億2千万年… それだけ思い続けたので、 ついに伸び放題のアフロヘアのように 螺髪が膨らんだという。 勧進所 阿弥陀堂 今回「転害会」に訪れたのは、 この仏さまに会うためでもありました。 東大寺の末寺の 五刧院 におられるのは、 こちらです・・・ そう落語『寿限無』に出てくる 「 寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ… 」の 「五劫」と同じ意味です(・ω・)v

東大寺勧進所と公慶上人

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「転害会」に開帳される 「東大寺 勧進所」 は、 江戸期に雨ざらしとなっていた 大仏の修理、大仏殿の再建のために、 公慶上人 (こうけいしょうにん) が建てた、 復興の寺務所だったのだそうです。 東大寺の大伽藍は、平安時代末期の源平の争いで、 平重衡の兵火によって1180年に灰燼に帰します。 この東大寺の復興は俊乗房 重源上人ですが、 その鎌倉期の大伽藍も戦国時代の混乱期、 1567年の「三好・松永の兵火」で焼失。 創建当初の建物はわずか 「三月堂」と「二月堂」 、 そして「転害門」を残すのみになります。 大仏殿の西側にあります。 「転害会」の手向山八幡宮の祭礼 を観て、 二月堂をぐるりとまわってくると、 ほどなく始まっていました。 公慶上人は13歳で東大寺大喜院に入られたが、 自分には傘があるのに、 大仏さまは風雨にさらされたままだと涙し、 ひそかに大仏殿再興の志願をおこされたのだそうです。 37歳となった1684年に、江戸幕府に赴いて、 大仏殿の再興と諸国勧進を訴えて、 ただ、寺社奉行より許可を得たとはいえ、 「 勧進は勝手次第だが幕府が援助するものではない 」 という実に厳しい条件が出された苦難の再興へ。 堂内での写真はないのでパンフなどのお姿を... 体部は仏師 性慶 の手によるものですが、 顔は公慶の弟子 即念 が造ったと伝わります。 左眼は充血したように赤くなっているのは、 大仏再興勧進の間の7年の苦行の表れ、 横臥して寝ることなかったと伝わります。 公慶上人のおられる「公慶堂」の開扉は、 2010年から始まったもので、 年に2回の開帳があります。 もうひとつの開帳は公慶忌が営まれる 4月12日 … 大仏殿を背景に枝垂れ桜がとても綺麗とか... 春にも訪れたい風景です。