はるばる来たぜHAKODATEvol.2 函館の教会~トラピスチヌ修道院
函館にはるばる向かった理由は、
教会群と近代化遺産をみること…
訪れたいとこが多すぎて、
とても1日半では周り切れない。
それでも"トラピスチヌ修道院"は、
外せないのだが函館市中心部から、
かなり離れているのです。
函館屈指の観光名所へ、
函館空港から近いということもあり、
五稜郭⇔トラピスチヌ⇔空港の
アクセスバスを使って、
2つ目の訪問地となりました。
《リジューの聖テレジア》
聖テレジアは1873年フランス生まれ、
リジューの洗足カルメル会に入った修道女。
24歳で生涯を閉じたのですが、
聖心使徒と讃えられ像は1936年に
寄贈されたものです。
「函館の郊外東に女子部、
西に男子部のトラピスト修道院がある。
共に遥かに函館を見下ろして、
鈴蘭咲く高燥の地に、
赤煉瓦のゴシック風の建物が建てられ、
女子部の緑の聖園にある天使の白像は、
赤い建物と、コバルトの空との対照が
如何にも美しく静寂で、
年若い人達の心あやしい迄で、
憧憬を覚えしむのも
無理からぬ様に思われた。」
建築家・関根要太郎が、
当時在籍の日本建築士会の機関誌連載、
[旅泊余滴]という紀行文の中の一節。
まさしく函館の藍空に映える憧憬…
小さな尖塔が付いた赤レンガ…
その始まりは18898年(明治31)年に
フランスから派遣された修道女たちが、
湯の川の孤児院を使い修道生活を
開始したのがその始まり。
当初はパリ外国宣教会の
アンドレ・ベルリオーズ司教が、
孤児院として建てた木造の建物…
1903年(明治36)一夜の大嵐により、
修道院は倒壊してしまったとか。
煉瓦造の本館が竣工したのが、
1908年(明治41)のことだが、
1925年(大正14)年の火災で本館焼失。
当時札幌に拠点を置き活動していた
スイス人建築家マックス・ヒンデルの
手により再建されたもの。
焼け残った煉瓦壁を生かし、
竣工当時のデザインを踏襲して
再建されたと記録されています。
像は《聖ミカエル》、
「ミ・カ・エル」とはヘブライ語で
"神のように振るまう者は誰か"と、
悪魔が神に反逆したとき
叫びながらこれを破り、
神に忠誠を尽くした大天使。
フランシスコ・ザビエルは、
聖ミカエルを日本の保護者と
定めたと言われています。
南フランスのピレネー山腹にある
洞窟ルルドを模したもの。
14歳の少女 ベルナデッタの前に、
18回にわたって現れた 聖母マリア…
少女が聖母の言われたとおり
地面を手で掘ると、泉が湧き出し、
その水で多くの病人が癒やされた…
後にその地は聖地に、
ベルナデッタ・スピルーは修道女に。
1857年35歳で帰天しましたが、
1933年にはローマ法王により聖人に。
通用門には《聖家族三図》のレリーフ、
「すべての家族が
神とその民の愛と配慮に
包まれていると
感じることができますように」と、
1993年ローマ教皇 ヨハネ=パウロ二世が
全世界に向かった呼びかけたことば。
第一図「マリアへのお告げ」
第二図「イエスの誕生」
第三図「エジプトへの遭難」
売店には資料室が併設
天使園の聖堂のステンドグラスと
同じデザインのものや
修道女手作りの「マダレナ」
絵葉書をいくつか求めました。
フランスのラ・トラップ修道院の
マリー・ベルナール神父の
絵葉書をいくつか求めました。
フランスのラ・トラップ修道院の
マリー・ベルナール神父の
手になる"慈しみの聖母マリア"、
函館の街を包み込むようでもありました。
函館の街を包み込むようでもありました。