日本人の嗜好をさぐる㉓ 藍色〜ジャパン・ブルーへ
《冨嶽三十六景 東都浅艸本願寺》
葛飾北斎 1830年ごろ
ジャパン・ブルーというコトバ、
サッカーの日本代表のユニ色。
日本で藍色の表現者といえば、
葛飾北斎、歌川広重、
そして渓斎英泉を挙げます。
《仮宅の遊女》渓斎英泉
千葉市美術館蔵 1835~37年
藍色の濃淡だけで刷った
「藍摺絵 (あいずりえ)」。
文政末期にドイツから
輸入された合成顔料が、
それまでの色鮮やかな
浮世絵と異なる世界を
もたらしたのです。
《東都名所 猿若町芝居》
歌川広重 1850年ごろ
幕末以降に手にした
西洋の人たちは、
浮世絵の表現方法よりも、
描かれた内容についてでした。
遊郭や芝居小屋で
興じる人たちを見て、
文化の先進性をみたとか。
浮世絵の題材やそれを娯楽
として消費する風習を知って、
市民階級の存在に思いを
募らせたのだそうです。
ちょっと誤解があるようですが…
《中万字や内 八ツ橋》
歌川国貞 1825-30年頃
北海道立近代美術館蔵
浮世絵としての洗練を極めた
藍摺絵はコレクションとして、
当初は評価されませんでした。
合成顔料「ベロ藍」は、
プルシアンブルーとも
呼ばれる輸入合成顔料です。
それまでの多色刷の錦絵は
朱色や黄色がメインで、
青系統はほとんど見られません。
中東産の高価な鉱石が原料の
「ラピスラズリ」が必要で、
将軍大名の御用絵師らに
限られた存在でした。
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
葛飾北斎 千葉市美術館蔵
藍色をジャパン・ブルーに
させた一番の功労者は、
やはり葛飾北斎でしょう。
水の表現を効果的できるのは、
藍色と摺られない白地、
発色が強く
歌川広重 1850年ごろ
幕末以降に手にした
西洋の人たちは、
浮世絵の表現方法よりも、
描かれた内容についてでした。
遊郭や芝居小屋で
興じる人たちを見て、
文化の先進性をみたとか。
浮世絵の題材やそれを娯楽
として消費する風習を知って、
市民階級の存在に思いを
募らせたのだそうです。
ちょっと誤解があるようですが…
《中万字や内 八ツ橋》
歌川国貞 1825-30年頃
北海道立近代美術館蔵
浮世絵としての洗練を極めた
藍摺絵はコレクションとして、
当初は評価されませんでした。
合成顔料「ベロ藍」は、
プルシアンブルーとも
呼ばれる輸入合成顔料です。
それまでの多色刷の錦絵は
朱色や黄色がメインで、
青系統はほとんど見られません。
中東産の高価な鉱石が原料の
「ラピスラズリ」が必要で、
将軍大名の御用絵師らに
限られた存在でした。
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
葛飾北斎 千葉市美術館蔵
藍色をジャパン・ブルーに
させた一番の功労者は、
やはり葛飾北斎でしょう。
水の表現を効果的できるのは、
藍色と摺られない白地、
発色が強く