2016年12月18日日曜日

ならぶら 秋篠寺


西大寺から北に

秋篠宮家の名の縁の「秋篠寺」へ。

車がすれ違うのもやっとというほど、
道の狭い集落に東門と南門を
開かれています。

バス停のある東門を入ると、
参道沿いに終わりを
向かえつつの紅葉。

清浄香水・味如甘露」とある。
大元師明王 結縁開扉の日には、
参拝者も清浄香水を頂けるとか…
こちら大元師明王が
安置されている「大元堂」です。
光仁天皇の勅願によって、
興福寺の善珠
創建と伝えられます。

光仁天皇の皇子であり、
平安京遷都を決行した
桓武天皇は善珠に深く帰依、
秋篠寺の伽藍を官寺に
ふさわしい規模に
整えたそうですが…
平安末期に兵火に襲われます。
かつてここに壮麗な伽藍があった、
いまは苔と樹木に覆われています。
いまは何もないという風景が、
雄弁にこの寺の歴史を
語っているようにも感じられます。

「此処はなかなかいい村だ。
 寺もいい。いかにもそんな村の
 お寺らしくしているところがいい。
 そうしてこんな何気ない
 御堂のなかに、ずっと昔から、
 こういう匂いの高い天女の像が
 身をひそませて
 いてくだすったのかとおもうと、
 本当にありがたい」
堀辰雄の随筆『大和路』
東洋のミュウズと評した
伎芸天がおられるところ。

漆喰の純白と黒々とした木、
そのコントラストが清らかな本堂。
焼け残った講堂の場所に
建てられた鎌倉時代の建築。
瓦屋根も浅い素朴な出で立ちは、
天平に開かれた寺であることを、
意識して建てられたことを
示しているのだと言われています。

伎芸天をはじめとし
諸仏が修復され、
新造された仏さまとともに、
静かに復興をとげたそうです。

「秋篠や 外山の里やしぐるらむ
 生駒の岳に 雲のかかれる」
   西行が詠んだ句。

鎌倉の復興期に秋篠の里は、
外山(とやま)の里」という
歌枕で知られる地に、
霧と時雨の名所として
都の歌人たちに
愛されてきたお寺が
ここにありました。