赤穂四十七士の像〜吉祥寺


赤穂義士の吉祥寺

ぐるりと囲む「だんだら模様」。
度重なる戦災と谷町筋の整備などで、
現代的にして再建したもの。

境内には赤穂四十七士の討ち入り姿の
群像がことさら目に付く...

2002年12月に討ち入り
三百年を記念して建立されたもの。

大石内蔵助とその長男で裏門の大将をつとめた
大石主税良金を中心にずらりと…

実は討入り百五十年を迎えた幕末の頃には、
このお寺に義士の木造が祀られていたそうである。





この四十七義士であるが実は太平洋戦争中は、
国威発揚の道具のひとつとなっていたそうだ。
そして、終戦直後は占領軍によって
義士思慕の行事は禁止されたのだそうである。

忠義という言葉が一人歩きしたことで
戦時下体制に飲み込まれていったのである。
義士は江戸幕府の御政道を正さんとしたのに、
真逆であるその意図とは反対に扱われた。
「時局」とは思わぬ方向に動くものだと思う...

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