2013年3月24日日曜日

赤穂義士の大坂の菩提寺〜吉祥寺


谷町筋をクルマで走っていると
目に付くギザギザ。
輝流ライン...いや赤穂の「段だら模様」の壁。

浅野家の大阪の菩提寺で、
藩主・浅野長矩より東京の泉岳寺と同じ
山号「万松山」を与えられている「吉祥寺」。

参勤交代のみならず
赤穂藩第三代藩主 浅野内匠頭長矩は、
何かにつけてこの寺を訪れていたそうです。
 
当時赤穂浅野家は中之島に蔵屋敷を構えていて、
塩の商いの拠点としていたようです。

境内の赤穂浪士の墓は
足軽故に切腹を許されなかった
寺坂吉右衛門が全員の頭髪や爪などを
持ち帰って供養したもの、と伝わります。

寺坂吉右衛門は討入りの後に義士たちと別れ、
芸州浅野家に討入りの報告をする旅の途中に
ここ吉祥寺を訪れ、銀十両を添えて、
供養を依頼したと寺伝に残されています。

実は「寺坂吉右衛門」は討入りせずに、
目前で逃亡したので四十七士ではなく
四十六士であるという説があるようですが..

この墓所は「四十七士」で彼の戒名もみえます。
討入り後に内蔵助の密命を受け供養を依頼し、
その密命を果たした後も生きねばならないという
彼の武士道に対して、
生前にも関わらず戒名を与え、
墓碑を建立されたことは当時の住職の思いや
浪花の人々の思いが伝わってきます。

「風さそふ 花よりもなほ 我はまた
 春の名残を いかにとやせん」


そんな内匠頭の辞世の句を映すかのよう、
境内には桜が咲き誇っていました。
毎年12月14日には子供たちが衣装を着て
「義士祭」が行われるとか…
またその時期に訪れてみたいと思います。