大阪の神社めぐり 玉造稲荷神社①
こないだは森ノ宮からスタートしたけれど、
あらためて「玉造」から神社めぐり。
「玉造稲荷神社」は古くは「玉作岡」と呼ばれ、
勾玉などを作る玉造部がいたと伝わる。
大坂城の南東にあって、
かつては大坂城三ノ丸に位置していたという。
西向きに建てられている本殿は
比較的に少ないらしいのだが、
大坂の経済を見守るために
西向きにしたとも言われているそうです。
江戸時代に全国的に流行したお伊勢参りの
当時西の玄関口として賑わっていたのがここ玉造。
今でいう協定旅館のルーツってのが
当時の「浪花講」というものだそうで、
旅のガイドブックである『浪花講定宿帳』が発行され、
「浪花講」と掲げる協定旅館に安心して宿をとれたとか。
近年「初詣・伊勢迄歩講」として復活、
毎年年末に伊勢に向けてここから出発するのだという。
こちらは「恋キツネ」。
境内には結婚式場があり挙式をしたカップルは、
恋キツネ絵馬を神殿前に奉納するのだという。
キツネは「つがい」になると
あらためて「玉造」から神社めぐり。
「玉造稲荷神社」は古くは「玉作岡」と呼ばれ、
勾玉などを作る玉造部がいたと伝わる。
大坂城の南東にあって、
かつては大坂城三ノ丸に位置していたという。
西向きに建てられている本殿は
比較的に少ないらしいのだが、
大坂の経済を見守るために
西向きにしたとも言われているそうです。
江戸時代に全国的に流行したお伊勢参りの
当時西の玄関口として賑わっていたのがここ玉造。
今でいう協定旅館のルーツってのが
当時の「浪花講」というものだそうで、
旅のガイドブックである『浪花講定宿帳』が発行され、
「浪花講」と掲げる協定旅館に安心して宿をとれたとか。
近年「初詣・伊勢迄歩講」として復活、
毎年年末に伊勢に向けてここから出発するのだという。
こちらは「恋キツネ」。
境内には結婚式場があり挙式をしたカップルは、
恋キツネ絵馬を神殿前に奉納するのだという。
キツネは「つがい」になると