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みちのく遠征 その10「仙台うまいもん」

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仙台で平らげたうまいもん     ズラッと・・・ 塩釜で食べたのが 「海鮮丼」 地震と津波の被害を受けながらも、 がんばって営業を始めてはる マリンゲート塩釜内の 「海鮮料理 魚長亭」 で頂く・・・・ 新鮮な魚は獲れるのだが 物流がままならんと・・・ 特に高級魚が出まわらないので、 買い手がつかないと大将嘆きながらも、 「でもせっかくもらった命やから」と。 クリスタ宮城のテントで売っていた 「ずんだもち」 ・・・・ 北上京だんご本舗のずんだもち 「ずんだ」 と 「もちこ」って、 やなせたかし 先生に かかるとこうなるのか・・・ やなせたかし 先生 作詞作曲の 「 ♪ずんだもちのデュオ 」 「 ♪ずんだもちのワルツ 」 なるものもあるとか・・・ 足の早い「ずんだ餅」ゆえの 冷凍パック、 自然解凍が体よくできなくて、 球場では箸が折れる勢いの カチカチ餅 。 「ずんだ」だけをペロペロとなめていたのよ。 思い直して翌朝、 仙台駅西口にある 「ずんだ茶寮」 で 冷茶とセットでリベンジ。。。 実は二日目の朝食はコレやった。 土曜日の夜も含めて「 牛タン」三昧。 なかでも絶品やったのが、 青葉亭 の エスパル仙台店で食べた 「セレクトメニュー」 1,470円 「牛タン焼きハーフサイズ」 「牛タンシチューハーフサイズ」 + 「テールスープ」+「サラダ」+「パン」     をセレクトした。 メインには 「牛タンキーマカレー」 も         チョイス出来る。 「柚子胡椒」 のソースが絶品やった。 でもあんだけ食べられて牛って 百枚舌なのか?? 「利久」 の牛タンカレーってのも、 ウチでレトルトを楽しみましたよ!

みちのく遠征 その9 松島の島々

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「天橋立」「宮島」は 何度も行ったけど 「松島」は初めて 日本三景 をコンプリート!! そもそも日本三景とは 江戸時代のはじめに、 全国を行脚した儒学者の 林春斎 という人が 『日本国事跡考』 で 卓越した三つの景観としたのが       始まりだとか・・・・ 天橋立にも同じ碑文があるそうだが、 「松島、此島之外有小島若干、  殆如盆池月波之景、境致之佳興、  丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」 松島湾内に点在する島々が クッションとなって、 大津波の勢いを弱めたともいわれています。 2ヶ月以上の月日に多くの人の手で 泥は瓦礫が払われGW前の4月末日から、 松島島巡り観光船が復活していると聞き、 ぜひとも 松島巡り しようと思い。。。 「松島海岸レストハウス」は損傷が激しく、 仮設のプレハブで発券・・・ せっかくなので 塩釜までのコース を選択! 桟橋につながる 「はやぶさ号」 ・・・ 「丸文松島汽船」 の遊覧船は 水深2メートルの浅瀬を通れるので、 この航路ならではの島々が楽しめる。 実はこの 「はやぶさ号」 。 一時期 船が無くて困っていた 気仙沼と大島を結ぶ定期航路の オーエンに出ていたようで、 大活躍やったそうです。 そうそう・・・ 東北新幹線でも 「はやぶさ」に乗りましたよ! ニュー「はやぶさ」レポは改めて!! 「観瀾亭」 もともとは 豊臣秀吉 の 伏見桃山城にあった茶室。 伊達政宗がもらい受けたものを、 二代藩主 忠宗 が 海路ここに移したとか。 江戸の藩邸にあった 木も石も 配置を変えずに移築されたと伝わります。 「観瀾」 とは、さざ波を観るという意。 「はやぶさ号」から「観瀾亭」を観る。 霧雨が降っているが、 水墨画の松島をみごとに演出!! 自然の盆景を思わせる 「双子島」 。 亀島、 鯨島とも呼ばれているとか。 伊達政宗がお気に入りの島 「千貫島」 「あの島を余の館に運ぶ者あらば、  銭千貫を遣わす」     と言ったことにちなむ。 こちらは 政宗が月見の宴を開いたと伝わる 「在城島」 (ざいじょうじま) 「このように見渡す限りの視界なれば、  落城の憂い無し」 独眼竜の 月見スポット だった島。 烏帽子兜に似ていることにより、 「兜島」 と名付けられた島。 大津波の影響で 島上の松は倒れてしまったとか。 手前に見えるのが 「鎧島」 波頭の...

みちのく遠征 その8 松島・瑞巌寺

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松島の名刹 「瑞巌寺」 (ずいがんじ) 。 もともとは延暦寺に由来する 天台宗だったようですが、 鎌倉時代の1259年に    臨済宗 となったそうです。 そう 独眼竜の政宗像は この 「瑞巌寺」 に伝わるものなんです。 1593年(文禄2年)の政宗が 27歳の姿を再現したものと伝わる。 政宗十七回忌に正室であった陽徳院の 発願により製作されたものだという。 愛姫 (めごひめ) と 五郎八 (いろは) 姫 とともに 「宝物館」で鎮座 していました。 等身大の政宗の身長は約159センチ。 仙台城の政宗像と比べかなり      印象が異なりますが、 圧倒される存在感を放っていました。 現在は平成の大修理が行われているので、 禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた 桃山形式の国宝の 「本堂」 などは 見られなかったのですが・・・ その代わりに 「庫裡」と「大書院」 が 特別公開されていました。 桃山風の唐草彫刻が   白い漆喰の上に美しく映える。 僧侶の住居や台所として 用いられる建物 「 庫裡 (庫裏 くり) 」。 唐草や花肘木の彫刻が施されており、 政宗の趣味の良さを今に伝える 東北屈指の桃山建築。 普段は公開をされていない プレイベートエリアである。 切妻屋根妻入で本瓦葺、 屋根には入母屋屋根の煙出しがある。 天井を張られていない庫裡内では、 見事に組み上げられた梁に驚嘆・・・ 大書院にもともと本堂に安置されている 「御本尊」、 「開山木像」 。   そして 政宗と忠宗の位牌を間近に見る。 お寺の人の話だと 普段は厨子があけられることはなく、 次の機会は100年以上先になるとか ・・・ 本堂の新たな改修の機会という意味。 こちらは「宝物館」内に再現されていた 「上段の間・上々段の間」 。 こちらは5月31日までの特別公開で、 まさにナイスタイミングで体験することができた。 瑞巌寺の塔頭の一つ 「陽徳院」 の裏手にある 陽徳院 愛姫 の墓堂 「 寶華殿」 。 2001年から3年をかけて 創建当初の姿に復元されたもの。 坂上田村麻呂の子孫の家柄であったと 伝わる 愛姫 は政宗の正室で、 政宗公との間に 五郎八 (いろは) 姫、 仙台藩2代藩主の 伊達忠宗 の実母。 圓通院から瑞巌寺に回ってきたので、 松島海岸に向けて総門までの杉木立を歩く。 雨が降ってい...

みちのく遠征 その7 松島・圓通院

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仙石線に乗って 松島海岸駅 へ。 伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)の光宗の 霊廟である 三慧殿 (さんけいでん)のある 「圓通院」 (えんつういん)を訪ねた。 松島の金色堂とも言われる 三慧殿 は、 3世紀半の間 秘蔵とされた国の重要文化財。 19歳で亡くなった光宗公の馬上像と 殉死した家来7人の像が祀られています。 遣欧使節団の 支倉常長 がヨーロッパから 持ち帰った様々な模様が詰め込まれていて、 内扉の右はローマを示す 「バラ」 、 左にはフィレンツェの 「水仙」 が 色褪せることなく華麗な姿を伝えていました。 細かな文様にはキリシタンを表すクロス、 そしてトランプではお馴染みの ダイヤ、クローバー、ハート、スペードも 見て取れました。 こちらは門を入ったところにある    「雲外天地の庭」 白砂で松島湾、山々は苔で     表現されています。 松島湾に実在する七福神の嶋が浮かぶ。 紅葉の季節はまた趣を変えるそうです。 こちらは本堂前の 「遠州の庭」 に咲いていた 松島町の町花にもなっている  石斛 (せっこく) の花。 樹上や岩石上に自生しているラン科の花。

みちのく遠征 その6 「あゝ青葉城」

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仙台といえば青葉城・・・ 仙台市内は復興しつつあるようだが、 市中心部から城跡を結んでいる 市道・仙台城跡線沿いには 城壁の崩れたところがあちこちに見られるとか。 仙台国際センターから上がる道路は通行止め、 東北大学のキャンパス を抜けてぐるっと大回り。 「るーぷる仙台」 っていう観光バスもようやく、 6月1日(水)から青葉城址にも 停車するようになったとか。 訪れた日は試験運転がなされていた。 石垣が崩れたのは、城跡の西側のあたりで、 縦7メートル、横58メートルにわたって・・・ 修復には歴史的価値を損なわないよう 時間をかけて行う必要があるとかで、 通行止めが長引いているとのこと。 昭和5年に建てられた 伊達政宗騎馬像 は、 独眼ではなく両眼を開いたもの。 実は政宗の遺言で独眼竜ではないお姿。 こちらは 仙台市博物館 に伝わる肖像画で、 政宗死後40年がたった 1676年に先祖をまつる堂が建てられ、 政宗らの画像を掛けるという慣例が できたころに描かれた狩野派の筆による。 「 親から授かった大切なものが、  一つ欠けたのは誠に不敬なことであった。  肖像画には両目そろった形にせよ」 との遺言に沿ったものと言われている。 像の周辺の石垣も崩壊の危険性があり、 あまり近づけないとの立て札に震災を実感。 「政宗像」の手前にあるのが 「昭忠塔」 。 西南の役、京城事変、 日清戦争といった戦いでの、 東北地方の将兵を弔うもの。 実は頂上には「鳶」が大きく羽を 広げた姿があったのだが・・・・ 当時の日本陸軍を象徴的に表現していた 鳶は高さ20mから落下してしまったようで、 無残な姿をさらしていました。 「仙台城見聞館」 ってとこで 政宗による仙台城の築城と 城下町の歴史を見聞。 仙台城はこれまでさまざまな 天災を体験したことを知る。 二代忠宗の1645年(正保3年)の大震災で 本丸城壁崩壊、櫓もことごとく      倒壊したと記録にある。 1804年には落雷により二の丸全焼、 廃藩置県後残っていた大手門と脇櫓は、 1945年の仙台空襲で焼失したという。 その本丸あとに 「荒城の月」 の歌碑が立つ。 青葉城本丸会館にある 「 青葉城資料展示館 」で   青葉城をCG体験・・・・ 家康に遠慮して 天守閣を建てなかった などなど。。 今まで知らなかった「仙台城」を体験!! 「まめ...