あずまくだりんvol.11 穴守稲荷へ


「羽田ではやる お穴さま」
「ねがいごと かならずかなう 穴守の
 いなりの神よ いかに尊き」

羽田神社には多くのお稲荷さん…
稲荷とは"稲成る・稲生る"、
"なる"は万物を生成する力
江戸東京には稲荷社が多い
伊勢屋、稲荷に、犬の糞
といわれるほど人気の神様。

羽田神社から歩いて辿ったが、
途中に穴守稲荷駅
朱のアクセントの目前に

参道に入る前に大きな朱の鳥居

ほどなく碑石があり続く参道

文化文政のころ羽田浦開墾のおり、
沿岸の堤防しばしば
激浪のために害を受けたという。
あるとき堤防の腹部に"大穴"を生じ、
これより海水侵入したとか…
堤上に一祠を勧請して稲荷大神、
これが穴守稲荷の草創だとか。

穴守を称するのは「風浪が作りし、
穴の害より田畑を守り給う
」の意。
社号 穴守稲荷神社が官許されたのは、
1886年(明治19)のことだそうです。

凛々しい狐様



本殿前鳥居には夏越の祓の茅の輪

社殿右手に鳥居が並ぶ…



開運稲荷

必勝稲荷
その奥にそびえ立つ頂きにも、
鳥居が見えます。

奥之宮

左手より稲荷山

その前に"御神穴"

神砂(あなもりの砂)はこちらで
戴くことができるそうです。
リニューアルされて少し神妙さが
薄れたのかも知れませぬが…

ネオン千本鳥居とか…

こちらかつての築山

1945年8月の終戦…
未曾有の紛擾(ふんじょう)が
穴守稲荷に襲いかかったのです。
連合国軍による羽田空港拡張
鎮座地より遷座せよとのこと。
しかも48時間の強制退去

『羽田 九月二十一日』には綴られる
えびとり川以東に住む羽田の人たちは、
 48時間以内に町を立ちのくよう
 という命令がくだされました。
 空襲で家を焼かれ、
 焼けあとにやっとバラックを
 立てて暮しはじめた人も、
 運よく焼け残った家の人も、
 おおあわてで町を
 出ていかなくてはなりませんでした。
 この物語の主人公 しげのように
 神社の縁の下や、六郷川の土手に
 仮り小屋を作って住む人、
 親威をたよって
 引っ越した人もいました。
 そうした人が3000人も
 ふるさとをなくしてしまいました。」

穴守稲荷は1902年(明治35)に、
京浜電気鉄道 蒲田~稲荷橋開通
関東屈指の稲荷として賑わいました。

1911年(明治44)には、
京浜直営の海水浴場

1913円(大正 2) に穴守稲荷まで延伸

汐干狩
でも大いに賑わったそうです。

羽田は干潟でもあったので、
江戸期は海苔づくりが盛んだったとか。

《羽根田弁天之図》  
無款であるが享和年間(1801~4)に
葛飾北斎が描いたもので、
入り江で漁猟人と参詣客が描かれる。

今の弁天橋の奥には、
穴守稲荷神社 旧一の大鳥居

歌川広重の『名所江戸百景』うち
はねたのわたし弁天の社

ところで…"羽田"という地名
鳥の羽のような翼を持つ飛行機が
離着陸する飛行場の名前
として、
あまりにもぴったりしすぎています。

由来には諸説あり
「元々この土地が、海老取川を
 境として2つの島に分離されており、
 その地形を海側から見ると、
 島の形があたかも
 鳥の両翼に似ていることと
 土地が肥沃な田地が一帯に
 広がっていたこと


「低湿粘土の 土地を『埴田(はにだ)』、
 新しく開墾した土地を
 『墾田(はりた)』と呼ぶことから、
 それが転訛」の意。※1

羽田空港が開港してから付いた?
時が過ぎればそれが定説に
なるやも知れません。


穴守稲荷の稲荷山に戻ります。
神社は2018年から大規模工事を実施。
千本鳥居と稲荷山は2020年に
完成したばかりなのだそうです。

見下ろすと千本鳥居

本殿の堅魚木も間近

稲荷上乃社

御嶽神社でもあり御神石、
ここの鳥居は朱でないものもあり。

"御神穴"の狐塚の屋上に4つの稲荷社

築山稲荷

幸稲荷

末廣稲荷

そして航空稲荷

朱色ではなく"青"の鳥居が奉納、
"ANA"の文字がみえます・・・
穴だからか?


手前の鳥居も海外の航空会社の
名前がいくつかありました。

穴守稲荷はANA羽田神社はJAL
なのやもしれませんね

水琴鈴狐を戴きました

☆祈☆合☆格☆

※1「羽田空港の歴史」 衣本啓介 2010年

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