みやこの国宝への旅⑧ 夜色楼台図


国宝指定日 2009.07.10
紙本墨画淡彩 夜色楼台図
「しほんぼくがたんさい
 やしょくろうだいず」と読む。

国宝展や名宝展の図録
いくつか書棚にありますが、
こちらは初対面でした。
というのも現在は個人蔵、
展示会の履歴をたどると、
2019年夏の「京博寄託の名宝展」、
2018年秋の出光美術館
ほぼ2週間であっという間。
出光美術館のブログにこうあった
コレクターから許された
 特別出品はわずかに2週間…、
 残り2日間です。
皆さん、
 図版ではお馴染みでしょうが、
 何が何でも本物を見なくては、
 日本絵画を、いや、日本美術を、
 いやいや、日本文化を語ることが
 できなくなってしまいますよ!!」
「京の国宝展」でも2週間、
タイミングが絶妙でしたので、
ちょこっと語ってみます。

「夜色楼台雪萬家」との自題は、
明の詩人 李攀龍(りはんりょう)が
中国の楼台の景観を眺めながら、
病気のために官職を辞し、
故郷に帰った友人に
思いを馳せて書いた詩を
元にしたものであることが、
最近になってわかっています。
この詩に詠まれた北京の町並み
そのものであるともみれるが、
「左に登りゆく山稜は
 比叡山に連なり、
 右に下る山並みは
 伏見に至るものであり、
 麓の家並みは祇園から
 岡崎にかけての
 町並みと見ればいい。」
と。※1

若冲《乗興舟》を彷彿とさせる…
絵巻ものを途中で断裁したよう。
夜色楼台図の情景は《乗興舟》より
かなり町中で料亭が立ちならび、
晩年の蕪村が足繁く通った
「雪楼」もこの地にあったとか。


蕪村の雪の夜空を見つめる
繊細な眼差しにより、
暗闇は平面的な単色でなく、
夜空にリズムを与えている屋根と、
呼応する山の凹凸…
折れ線グラフのような稜線
蕪村はこの夜空に何を潜ませたのか

かつて京都の町家の屋根には、
雪をいただく冬がありました。
白く光って見えたのは、
胡粉を塗った名残だそうで、
まず画面いっぱいに胡粉を塗り、
その上に濃淡の墨を置き、
更にその上から胡粉を塗る
という手法が取られているそうです。

楼台がうっすらと明るく見えるのは、
代赭※1という顔料を薄くのばして、
灯火の明りを表現しているのです。

夜色楼台図》には「謝寅」、
蕪村の晩年絵画に署名される号。
中国明代の画家 唐寅に
倣ったもの
とされています。
中国唐時代の詩人であり
画家でもあった王維にも見習い、
画文二道を追求した蕪村
「僧にも非ず
 俗にゐて俗にも非ず」

蕪村の奇才なる国宝ここにあり。

※1代赭(たいしゃ)とは?
中国の山西省代州産のものを上品とする 赤色の顔料。
赤鉄鉱を粉砕したものを用いる。鉄朱ともいう。

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