みやこの国宝への旅③ 松に秋草図


国宝指定日 1952.03.29
智積院障壁画 松に秋草図
「ちしゃくいんしょうへきが
 まつにあきくさず」と読む。

火災などの災禍をくぐって
現代まで守り伝えられた
数十面は、桃山時代障壁画空間
壮麗さを伝えるほとんど
唯一の遺例となのでして…
巨大な松の根方には、
秋草が鬱蒼と茂る本図は、
制作当初の姿を最もよく残す。

夭折した豊臣秀吉の長男、
捨て丸(鶴松)の菩提寺として、
その翌年頃 建立された
祥雲禅寺の障壁画です。
豊臣氏滅亡の1615年(元和元)、
徳川幕府によって、
祥雲禅寺の跡地に移転した
智積院に下賜されたもの。

ただ翌 天和2年7月の失火で、
障壁画が据えられた客殿が、
灰塵に帰してしまう。
障壁画の主要部分は
持ち出され焼失を免れたものの、
再建された客殿や大書院へ転用…
難はこれだけではなく、
1802年(明治25)に盗難
戦後1947年にも火災に見舞われ、
更に一部が失われたのです。

その多くが智積院収蔵庫に…
新たに新収蔵庫を
建設中ということで、
国宝「松に秋草図」も
展示会を巡回しているのです。
ちなみに新収蔵庫完成は2023年春

こちら旧収蔵庫…
庫内は撮影禁止でしたが、
レプリカ復元展示とか
やってくれるのを楽しみに。
ここに《松に秋草図》客殿で
向かい合うもう一つの障壁画。

昭和の火災後に再建された
大書院の南廊下に置かれていた
こちら《松に黄蜀葵及菊図》。
引手の跡があり本来は襖絵、
松樹上部の金雲を境に、
図柄が離れていて、
紙継ぎ後に金雲を上から
貼り付けられている想定復元模写

《松に 黄燭葵及 菊図》宸殿 違棚 貼付

松の根元に芙蓉などの群生…
描かれている草花には、
秀吉の長男 鶴松との繋がり。
鶴松の死去と3回忌が
旧暦8 月5 日であって、
この時期に開花する草花が
描かれいるのも注目なのです。

ちなみに新暦で8 月29 日、
夏の終わりそろそろ初秋、
ちょうど今頃な草花。

《松に 黄 蜀 葵及 菊図》 床貼付

黄蜀葵が8 月~9 月、
芙蓉が8 月~10 月初め、
菊が10 月~12 月、
薄が穂をつけるのが
8 月~10 月と、
法要の時期と開花時期が一致。

東京藝術大学大学院
安原成美さんの研究によると…
客殿室中の《松に秋草図》と
向かい合うように
配されていたのだとか。

部屋ごとに別の季節が描かれ、
客殿全体で四季が展開…
春を表しているのが
長谷川久蔵の《桜図》。
夏を《松に立葵図》、
そして秋は《松に黄蜀葵及菊図》、
松に秋草図》なのでして…

そしてより深まった秋が
楓図》なのです。

もう一度…《松に秋草図》の左部分、
右から左に向かって吹いている
"風"の存在を感じられるでしょうか。
松に黄蜀葵及菊図》には、
左から右へ風が吹いているです。
室中に入った人々の視線を
風の表現によって、仏壇の間への
誘いが演出されていたと…

2013年6月にアサヒビール
金のスーパードライ のCM
《松に秋草図》福山雅治さん、
ドライプレミアムは確かにウマい。
虎の勝利への風はいつ吹くのか??
勝利の美酒を秋には、
味わいたいものである。


※このブログは、
東京藝術大学大学院の安原成美さん
旧祥雲寺客殿障壁画の復元研究
 国宝「松に黄蜀葵及菊図」
 智積院蔵の想定復元模写を中心として」
を参考にしました。


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